2026.07.28
19世紀半の人々がピアノを持つのが難しく、女性の最高の晴れ舞台は名門家のサロンにデビューする事で、そこでピアノを演奏したり、ワルツを踊ったりその時活躍したのが、ショパンやリスト、メンデルスゾーンでした。
19世紀のバロック時代鍵盤楽器を演奏するのは殆ど男性に限られていました。
ロマン派に女性のピアノ人口が増え、サロン文化とも関係があり名門家にサロンでデビューすることでした。
その当時の女性が多く演奏したのは、ワルツや民族編曲、ブルグミュラーの練習曲の様な小品、連弾曲ではシューベルトやブラームスの連弾曲の作品が披露されました。
ブルグミュラーの作品も小品です。
ブルグミュラーで有名なのは、「25の練習曲」です。
ブルグミュラー25の練習曲のテンポが「速い」と感じた方は多いと思います。
原典のテンポはそれより速く表示しています。 これは、当時のピアノの鍵盤が軽かったからです。(ブルグミュラーセミナーにて)
多くのアマチュアが親しんでいたのは初級編、「アラベスク」「清い流れ」「貴婦人の乗馬」などかあります。
アラベスクのテンポ120 :原典152
清い流れのテンポ126~144 原典176
貴婦人の乗馬のテンポ120~138 原典152
タイトルがつけられていてわかりやすいですね。
ブルグミュラーの時代のピアノ文化がわります。
19世紀前期はピアノは庶民には高価で、まだ大量生産がされていなく、ロンドンでは、需要に応えるため早くに量産制を開始して年間400台位でした。
1850年前期に現在まだ続いているベビシュタイン、スタインウェイ社が登場し、高いピアノを買うため広い部屋が必要になり、19世紀に、用途に応じた変形ピアノがあり、机に使えるピアノ、針箱セットと一体となったピアノ(40鍵盤程度)がありました。
ピアノメーカーは、技術の革新に、多様なメーカーピアノを製造して競って、ショパンはプレイエルのピアノを愛用しました。
ピアノメーカーで有名なベーゼンドルファーのピアノは1828年の創業で、超絶技巧曲で有名な作曲家であり優れた演奏家でもあったフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことでも有名です。
ベーゼンドルファーのフルコンサートグランドピアノは標準の88鍵よりも多い97鍵の鍵盤があります。
ロマン派時代になりますね。
バッハ時代練習曲はありませんでした。
ピアノ教則本を最初に作曲したのはクレメンティとクラマーです。
1811年生まれのフェリックス・ル・クーペはピアノABC」、バイエルの教則本、ツェルニーは多くあり、練習曲が沢山練習すると、難しい曲を弾くと名作が演奏出来るという考え方が定着したのは19世紀で、多くの時間を費やすようになりました。
ピアノの名人になるには、幼児期から長時間練習を果たせられ、ツェルニーは本格的なピアニストになりたいのであれば四時間でも少ないと言っています。
ヘンゼルトは1日16時間練習したと逸話があります。
そして、指の鍛錬に指を開く道具や、指を高く上げる為の道具、指を素早く運動させる為の機械等がありました。
古典奏法が現代のピアノにおいて全く誤りであることがわかったのが、100年位かかっています。
古典奏法がダイナミックを求める事は無理なので、異常なメカニック訓練へと追いやられ、指や手の故障が大きな社会問題となりました。
指の運動を容易にするためとピアノの改良されて、次第に鍵盤が重くなった時代です。
1810年を代表とするロマン派の作曲家達から今のピアノの感覚になってきています。
指と手首の関節だけで弾く技術による古典奏法は、もともとハープシコードやクラヴィコードのもので、音色の変化、ダイナミックの変化がないです。
ショパンは、唯一例外で、新しい技法を可能性を開いた作曲家でした。
その技法は、指の造りを利用しなければならないので、手の他の部分、つまり、手首や腕全体も使わなくてはならないです。
指は腕全体に関わっている肩から指先まで一つにつながっている感覚というショパンがもたらした技法の大革命。
古典派の規制のメトードに全くとらわれることがなかったショパンです。
(※ショパンを弾くだけのことではないです。)
現代のピアノ、ショパン!!!