2016.08.07
6日、9日、15日
8月はかの日の記憶を刻印するように過ぎていきます。
過ぎていくものだと思ってきました。
しかし気づけば
Hiroshima Nagasakiを知らない子供たち
アウシュビッツ、アドルフ・ヒトラーを知らない中学生
第二次大戦をゲームで楽しむ大学生
彼らが格別珍しくもない世界になっていました。
世代を超えて記憶することの難しさを感じます。
「辛いことは考えたくない、忘れたい」 それが人間の本性だとすれば、
負の歴史を記録していくこと、継承していくことが
どれほど困難で、勇気と労力のいることか。
先日、ドキュメンタリー映画『わたしの自由について〜SEALDs 2015〜』を見ました。
私なりに昨年の出来事を振返り、刻み付けてから、前に進みたいと思ったからです。
メンバーの語った「平和のバトン」と言う言葉が忘れられません。
平和な国に暮らしてきて
この平和が永遠に続くものと疑わず
でも気づくと 世界は少しづつ、少しづつ歪み始めている
そのとき、私の手の中には一本のバトンがあった
脈々と受け継がれてきた「平和のバトン」
手から手へ
貴方から私へと
いつ渡されたのかさえ定かではないけれど
確かに手の中にある一本のバトン
これを次の走者まで届けたいと思っています。
追記
SEALDs は2016年8月15日をもって解散します。
彼らの勇気と行動に感謝します。