2016.09.08
「象徴」と言う言葉について考えていました。
「象徴:形を持たない抽象的な事物・思想・情景などの観念内容を、それとは独立した意味を持つ実在的事象によって、具象的に表現すること。(広辞林)」
象徴(symbol)とは抽象的な事柄を、形あるものによってイメージさせることだと思うのですが
ただでさえ説明の難しい「象徴」。
では、その言葉を冠した「象徴天皇」とはどのような形を差すのか。
八月の「おことば」は
生涯をかけてその答えを探し求めた今上天皇が、その解を私たちに呈示されたものであったと思います。
しかし、その解に至る過程は生半可なものではなかったでしょう。
思考と実践、その繰り返しであったろうと察せられます。
そして、それは戦後70年、日本国憲法の辿った道とも重なるものでした。
日本国憲法を米国の「押しつけ」と評する方もおられますが
私にはあまりに安易な考え方と思われます。
日本国憲法の理念は、世界大戦を経て人々が目指した理念、
つまり「国際連合」のもとでの恒久平和の希求と連動するものでした。
またそれは、「原爆」の代償として私たちが勝ち取った理念でもありました。
(参考文献:加藤典洋『戦後入門』)
もちろん「世界全体の恒久平和の希求」など簡単に実現できるはずもなく
戦後それを手にした私たちにとっても
日本国憲法は未だ解のない答案用紙、
これから取り組んでいくべきプランでした。
実に戦後70年とは、その困難な仕事に取り組み、最善の答えを探すべく知恵をしぼってきた、その歩みであったと思います。
それは決してまっすぐな道ではありません。
欺瞞・妥協・建前・策略。
いまさら綺麗事だけを語ろうとは思いません。
それでも、この憲法のもとで真摯に平和を求め思考錯誤を繰り返したことは揺るぎない歴史です。
つまり私たちは、目の前に提示された平和の理念を、
実践することによって血の通うものにしてきた。
紙に書かれた憲法の文面を、実際に目に見えるもの、体感できるものにしてきたのです。
これから憲法改正についての議論が積み重ねられていくことでしょう。
しかし議論の前提として
この70年間の歴史をもう一度刻みつける、確認しあう必要があるように感じています。