2016.08.01
ひと月ほど前にスリランカを旅行してきました。
スリランカはインドの南、
大陸から一雫の水滴が零れ落ちたような美しい島です。
2000年以上の古から残る仏教遺跡の数々
溢れんばかりの自然と動物
穏やかで気さくな人びと
それは本当に思い出深い旅立ったのですが、中でもとくに印象深かったのが
「素足で歩くこと」「手で食べること」でした。
まず「素足で歩くこと」。
我が家は戦前から建つ長屋で、畳の部屋が生活の中心です。
そこを素足で歩き時にはゴロンと横になる、常日頃そんな暮らしをしているので「スリランカのお寺では靴を脱がなければならない」と聞いた時もとくに驚きはしなかったのです。
で、聖地ミヒンタレー。
さあ、ここから靴を脱いでください、と言われた場所で目を疑いました。
普通にジャリ道やん。(歩き慣れてないから痛い)
普通に山道やん。(寺は丘の上)
幸い夕暮れ時だったので助かりましたが
これが昼間だと足の裏が火傷するほど暑いらしいです。
靴を脱ぐことにはほどなく慣れたのですが
後日、シーギリヤロック(巨大な岩の上に宮殿跡がある遺跡)でさえ、
サンダル履きでどんどん登っていくスリランカ人を見て我が身の虚弱さを思い知らされたのでした。
そして「手で食べること」。
インドと同じく、こちらでも食事は右手指を使います。
まずは見よう見まねで、パラリと湯がいた長粒米にカレーとおかずをのせ、指先で絡ませたのち口元へと。
米がパラパラなので以外と難しい。
でもスパイスやハーブを取り除き、骨つき肉を食すのにこれ以上の道具はあり得なく、さらには食材のひとつひとつを指で確認しながら口に運ぶ動作が楽しくてすっかり病みつきになりました。
考えてみれば「素足で歩くこと」「手で食べること」
そのどちらもダイレクトに触覚を使う行為であり、旅の間ずっと直に外界に触れている一体感や高揚感を感じていたのです。
それはキャンディで迎へた最終日の朝の体験にも通じます。
その日は暗闇の中、私は仏歯寺からの勤行の声明で目を醒ましました。
やがて鳥が鳴き始め、空が白み、そこに人の営みの音が加わり
ようやく夜明けへと。
まさに自然の一部になって太陽の再生を目にした
爽やかな体験でした。