2015.07.25
7月10日付のブログでも取り上げさせていただいた高橋源一郎氏。
前回は氏の作品を読みながら、その強烈な印象のままに纏まらぬ感想を書かせていただいたのですが、先日、氏が朝日新聞に寄稿されていた文章にも、また強く心を揺り動かされました。
それは、先の大戦で亡くなった氏の伯父上を慰霊するため、フィリピンルソン島を訪れた、その旅のエッセイです。
死者と、生きているものとの交流。
実は、それは先日読んだ「日本文学盛衰史」でも感じたことでした。
私は、死んだ人々から思いを受け継ぎ、未来に託し、そして、私もまた歴史の流れに加わっていく。
その重みに、言葉を失います。
以下、高橋源一郎さんのエッセイの抜粋です。
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わたしは目を閉じ、頭を垂れて、一度もあったことのない伯父のために、それから帰国できなかった50万の兵士のために、そして、この戦いで亡く
なった、万単位のアメリカ軍兵士と百万人以上といわれるフィリピンの人たちのために黙祷をした。黙祷すべき人たちは、他にもいるだろう。だが、あらゆる戦争の死者に黙祷することは不可能なのだ。わたしには、ようやくたどり着いたという思いだけがあった。
目を閉じている間のことだった。わたしは、異様な感覚に襲われたのである。
伯父が背後に立ち、黙ってわたしを見つめているような気がしたのだ。恐ろしくはなかった。ただ悲しいだけであった。
わたしは目を開けた。青と緑に染められた美しい風景が、どこまでも広がっていた。不意に、こんなことを思った。70年前、伯父もまた、どこかこの近くで、この風景を見たのだ。そして、迫り来る確実な死を前にして、自分が存在しないであろう未来、けれども、平和に満ちた、その遥か未来の風景を想像したのではなかったろうか。わたしには、それが疑いえない事実であるように思えた。そして、伯父が想像した、平和に満ちた未来とは、いま
わたしがいる、この現在のことなのだ。それがどんなに貧しい現在であるにせよ。そのことに気づいた瞬間、そう、ほんとうにその瞬間、わたしは後ろ
から、伯父に抱きしめられたように思った。そのとき、亡くなった家族たちから託されたわたしの慰霊の旅はおわったのである。
過去は、わたしたちとは無縁ではなく、単なる思い出の対象なのでもない。「そこ」までたどり着けたなら、わたしたちに現在の意味を教えてくれる
場所なのだ。
「宗彦伯父さんは、こういったんだよね。」とわたしはいった。
「『ぼくは死ぬだろう。この愚かな戦争のために』」
それは、わたしが唯一しっている、伯父自身のことばたった。30年前、父は黙ってうなずいた。その父ももういないのだけれど。