2015.01.22
前回は
調性格という曖昧模糊としたものについて旋法の観点からお話しさせていただきました。
今日はその続き、調律法の観点からも少しお話しさせていただきたいと思います。。
そもそも調律とはなんどや?簡単に言ってしまうと
1オクターブの間を12の音に割り振ることなのですがこれが一筋縄ではいかないのですよ。
考えてもみて下さい。丸いケーキをきっちり12等分する。
それだけでも大変なのに、実はこのケーキには
焼け焦げた部分がある。
さぁ、どうする?
このお焦げ、罰ゲームよろしく誰かに食べてもらうのか、あるいは皆にちょっと
ずつ食べてもらうのか。
と言うことを、長年かけて喧々諤諤やってきてようやく
近年落ち着いたのが平均律という調律法。
はい、お焦げを皆できっちり均等に食べましょうという調律法です。
(平均律の和音は全て微妙に平均して濁っている)
この平均律、一般化しただけあって
非常に合理的で便利な調律法であることは間
違いありません。例えば
全ての調性が演奏可能なこと、もちろん
転調も自由自在、現代の難解な
無調音楽にも一切動じません。
でも残念なことに、平均律は
音楽の表現に欠かせない非常に大事な部分を落ちこぼしてしまう調律法のようにも思われるのですね。
それぞれの和音の微妙な色合いの違い、和声の進行に伴って生まれる協和と緊張、
他者(他の楽器)と溶け合う至福のアンサンブル。
平均律が一般化する前には曲に応じて、時代に応じて、地域に応じて沢山の調律
法が試されていました。
その
古典調律では調性に応じて微妙に違う響きが鳴っていました。調性に個性があったわけです。
大変大雑把な説明ですが、調号が少ない調はすっきりと整った響き。
調号が多い調では複雑な、、、苦しい、痛い、ときには悪魔的といっても良い和音が鳴りました。
調律法にも熟達していた古の作曲家が、その音楽の表現に最も適した調をあえて選ぶということ、これは当然あったのではないでしょうか。
(つづく)