2015.01.24
さて、それぞれの調には性格があるのか、というやっかいな問題を考察する第三弾。
今日は恐れながら
修辞学の観点から考えてみたいと思います。
何故、恐れながらなのか。
修辞学は奥が深く、正直、わたくしの手におえるものではないので。
とは言え、これを知ることで音楽の見方が広がるのは間違いないので、今日は私の知る範囲で少しだけお話したいと思います。
修辞学(レトリック)とは、
「欧州古代・中世で教養の中核を成していた学問。
いかに聴衆を納得させるかを目的とする演説の技術。」
なんだそうです。
(Wikipedia先生の説明をざっくり要約)
で、これを音楽にも応用しましょうと。
つまり、聴衆にメッセージを正確に伝えるための作曲技法と言ってもよいでしょうか。
感情を揺さぶるためには音楽をどう
構成すれば効果的かという問題に始まり 、「あるもの」を的確に伝えるために、それを
象徴する音型というものも決められました。
そして、長い間、欧州ではその技術が作曲者と演奏者(近代以前はこの二者は分業では無かった)また教養ある聴衆の間で共有されていました。
たとえば短3度の下行音型「ソ・ミ」
これはカッコウの鳴き声。
たとえば短2度の下行にスラー、これは「溜息」
半音階で下行していくバスは悲しみの道行き「ラメントバス」。
クロスする音型と♯は「十字架」の象徴。などなど
そう、♯は黒い鍵盤を弾く記号というではなく、特別な意味を持つときがあるのです。
ひとつ、このレトリックと音楽が一体となり
激しいまでの説得力を持つ曲をご紹介しましょう。
J.S.バッハ 「ヨハネ受難曲」。
第二部、イエス・キリストを十字架に架けろと群衆が叫ぶシーン。
皆が我を忘れ、イエスを「殺せ」と熱狂する場面が最高調に達した、そのとき、
それまで♭系の調で進行してきた音楽が一変し
ホ長調(♯)のコラール(賛美歌)が挟まれます。
人間の全ての醜さの中に、一瞬良心の光が差すかのように。
マッテゾンの説明によればホ長調は
「絶望に満ちた、あるいは死ぬほどの悲しみを比類なくうまく表す。
(中略)ある状況においては、切り込み、分かち、傷つけ、心を突き抜くような感じをもつので、ちょうど、肉体と魂の宿命的な分断にたとえられる。」調なのだとか。
偶然の一致とは、、、思えないんですね。