2014.02.16
前回、佐村河内氏の作曲偽装事件についてコメントした後、代作(?)をしていた作曲家新垣隆氏の会見が報道されました。
その会見の様子や会見文を読んで、
正直、私はホッとしました。
もちろん、彼は佐村河内氏と共犯して嘘をついていたわけですから(厳しい言い様ですが)容認され得る事ではないのですが、、、。
でも、少なくとも彼の一問一答からは嘘は感じませんでしたし
むしろ正直に、個人の利害を鑑みず、誠意をもって事実を語っておられると感じました。
新垣氏は非常に才能溢れる、音楽一途な方で、にも関わらず
いえ、だからこそというべきでしょうか、、、
この偽装事件に巻き込まれていったように感じました。
擁護しすぎでしょうか。
勿論、世間感覚に疎い、「音楽おたく」なんて自慢にも何にもならないことは
承知しております。
彼は正直に、『交響曲Hiroshima』には流布されたようなメッセージは込めてい
ないと断言しています。反して『ヴァイオリンのためのソナチネ』、これはフィギアスケートの髙橋選手が使った曲ですが、これは、新垣氏(佐村河内氏ではなく)とある少女との交流から生まれた曲であり、彼女への思いを込めて書いた曲であること、だから、躊躇せずこの曲は使って欲しいとの説明をしていましたね。
彼は、おそらくあらゆる作曲の技法を熟知した作曲のプロフェショナルなのだと思います。
でも、私はそれだけで良いのかな?と。
「曲をつくる」って何なのだろう?と思うのです。
技術があれば、ちょっとした曲は作れます。
さらに、センスと知識があれば、それによって人を感じさせることも出来なくはないでしょう。
でも、音楽に対する、また、それをプレゼントする人びとへの思いこそが
音楽に命を吹き込むと思うのです。
そうでなければ、
音楽はただのその場限り、結局は使い捨てにされて行くのではないかと危惧しています。
彼が自分の楽曲に何かしら思いを込め、それが人の心に届いたのならば、それは信じたいと思っています。
この事件には沢山のことを考えさせられました。
クラッシック現代音楽の状況の厳しさ。
移ろいやすい、載せられやすい人の心。
これらについても、また機会があれば書いてみたいと思っています。