2013.08.17
長崎旅行記その2
午後は陽射しを避けて博物館へ、その後夕刻から大浦天主堂へ行く予定。
とはいえ、お昼にはまだ少し時間があるようなので、博物館近くの
『日本26聖人殉教地』に赴くことにしました。
地図によれば駅前で市電をおりて5〜600メートルも歩けば着くはずが、、、
坂、坂、坂。そうか、ここは長崎。殉教地は丘の上なのね。
暑さにあえぎながらなんとか到着。
ここは1597年、秀吉のキリシタン弾圧によりとらえられた外国人宣教師、日本人使徒26人が処刑された場所。26人の中には2人の子供もふくまれていたとか。
長崎駅前を見晴るかす丘の上に、殉教者26人のモニュメント。裏手には記念館もあり、キリスト教の伝来から、その受容、弾圧と殉教、隠れキリシタンまで豊富な資料でたどることが出来ます。
直筆の手紙、当時の印刷本、典礼用の大楽譜、禁制の立て札、踏み絵、隠れキリシタンが守り続けたマリア像、、、それら、彼らが実際に手にし、使った物を見ながら「私は神(信じるもの)の為に命を捧げられるかな」と自問自答。
う~ん、だめだ、あっという間に転びそうだ、、、。
などと思いつつ、
猫のたむろする丘を背に、次は
『長崎歴史文化博物館』へ。
下り道とは言うものの、真夏の陽射しは容赦なく、またしても暑さにあえぎながら到着。そのまま、レストランでビールを一本開けたのがいけません。
ここ『長崎歴史文化博物館』では、涼ををとりつつ長崎の歴史と文化について、
しっかりと勉強するはずが、、、
クーラーの聞いた薄暗いビデオシアターに沈没。
朦朧としながら、龍馬、とかシーボルト、とか龍踊り、とか流れている映像をみているうちに、画面は
『大浦天主堂』へ。
なになに、大浦天主堂の正式名称は
『日本二十六聖殉教者天主堂』。
26聖人を記念して殉教の丘を臨む場所に1864年に建てられた。
あれ、さっき見てきた丘のことじゃん、、、知らんかった。
1965年には、200年間、隠れてきた浦上の信徒が教会に赴き、プチジャン神父に「わたし達も、あなたと同じ神を信じています」と告白したとか。
えっ、こんなところにも隠れキリシタンが、、、知らんかった。
やはり、その街の博物館って、行って見るものです。
そして夕方の
『大浦天主堂』へ。
(つづく)