2020.06.01
大阪はこの二週間(コロナ)感染者がゼロから数人の状態が続いており、久しぶりの日常が戻ってきたようです。とはいえ、いつ再燃するかも知れない不安を抱えつつの日常。街を歩けば、それぞれに異なるスタイルの人々とすれ違います。
和気あいあいとバスケットボールに興じる若者たちの横を
マスク姿の小学校一年生が無言で通り過ぎていく。
マスク、手袋の店員さんがアクリル板の向こうにいるコンビニの店先には、一服の煙草を楽しみながら談笑するおじさん達。
これで混乱しないで、というのが無理な気がします。
とはいえ、人の営みの根本に身体の触れ合いがある以上、これから少しづつ、試行錯誤しながら、他者との関係を開いていくことになるのでしょう。
そして、その他者との関係を開いていくプロセスには
各人の価値観が色濃く反映されていくのだろうと思います。
緊急事態宣言が終わって
まず親しい人に会いにいった人もいるでしょう。
馴染みの店に顔を出した人もいるでしょう。
レッスンを再開した方もいるでしょうし、
いの一番に街にショッピングに出かけた人もいるかも知れない。
演奏会の再開を目指す人もいれば
休校の解除を模索する人もいる。
ただ私にとっての優先事項は、他者の優先事項ではないかも知れない。逆に、他者にとって平気なことが、私にとってはとてもリスクが高く思えるかも知れない。
ここに正解はないような気がします。
だからこそ他者との間に生じる感情・感覚の差異を丁寧に擦り合わせる必要がありそうです。自分が大切にしてきたものは簡単には譲っちゃいけないだろうし、反対に、他者の不安を否定してもいけないだろうな、と。
瞬く間に広がったソーシャル・ディスタンス。
必要な措置とは思いながら、私は一抹の不安も感じています。
ソーシャル・ディスタンスで測る人との距離が、これまで作り上げた人間社会の分断までを増長しちゃうとしたら、それこそ、私たちは感染症に負けたことになるんじゃないかな、と。
「人はコロナのみにて生きるにあらず」と思うのです。
追伸:
なかなかコロナ話題から離れられずにいますが、コロナネタはもうウンザリという方もいるのではないでしょうか。次回こそ、楽しい音楽ネタを書きますね(^^)