2020.06.27
ようやくコロナネタから離れて久々に絵画のお話を。
大阪市立美術館にて『フランス絵画の精華』をみて参りました。
来場して初めて知ったのですが、今回の展覧会はルネ・ユイグ氏(René Huyghe)へのオマージュとして構成されたとか。
Huyghe氏についてはまたの機会に置くとして、その作品の質の高さに驚かされました。多くの部屋が「大様式(la garande manière)」と呼ばれる17、18世紀、フランス・バロック、ロココの絵画に埋め尽くされ、ルブラン・フラゴナール、ラ・トゥール、シャルダンといった錚々たる画家の作品が惜しみなく並べられています。
中でも釘付けになったのが、ヴァットーの素描。
実は初めてルーブル美術館に行ったとき、ルーブルは広大なのでお目当てを求めて回ることになるのですが、その時も憧れのヴァットーに会いたくて胸を高鳴らせながら赴いたところ、まさかのフランス絵画翼が工事中。Oh my God!なんてこった!が、諦めずに尋ねてみると、工事で閉鎖された空間の奥の奥にひっそりと居たんです。「シテール島への旅立ち」と「道化師」が。でも、なんでしょう、、、その時はピンとこなかったんですね。期待が大きすぎたのか、それまでの道中で感性が疲れていたのか、雑然とした工事中の美術館の雰囲気のせいなのか。私には「シテ島への旅立ち」は思っていたよりも小さく、「道化師」は思っていたよりも大きく感じられました。
それが今回、素描を目にして再びヴァットー讃が蘇りました。
素早く引かれた数本の線の的確さ。目鼻口元、わずかな書き込みだけで、書き込まれていないもの全てが思い浮かぶような造形の確かさ。赤白黒、たった三色のチョークで書かれたデッサンからはドレスの質感や表情の陰影が伝わり、それどころか人物の「秘め事」までもが滲み出てくるようでした。
ヴァットーの絵には演劇の場面を描いたものがたくさんありますが、お芝居の一役を演じているはずの人物が、作り事では見せ得ない表情で舞台に立っており、その逆に、庭に佇む貴婦人がまるで舞台にたって役を演じているように見えることもあります。
一体どちらが現実でどちらが演技なのか。
いつもQestionで終わる完結しない夢、あるいは現実。
一瞬の儚さが、絵画の中では永遠の魅力を放っているようでした。
J.A.ヴァットー(Jean-Antoine Watteau) 、F.クープランの音楽へと連なる画家。F.クープランの音楽に惹かれる方は、是非ともヴァットーの絵画にも触れてみてくださいね。