2020.04.29
混乱の極みの毎日です。
公園に集う親子連れへの三密リスクを報じる新聞を読んだ翌朝に、「子供は感染しづらく、感染しても重症化は稀で、しかもウィルスを出さない」という雑誌記事を目にする。コロナの致死率はさほど高くはないと安堵した後に、ニューヨークでの過酷な状況のレポートを読む。STAY
HOMEの呼びかけに呼応したその次の瞬間に、家庭内暴力やアルコール中毒のリスク増加を耳にする。
街を歩けば、馴染みのレストランがテイクアウトを始めていて、
ひさびさに家でレストランの味に舌鼓を打った後に、もしかしてこれも不要不急の用事だった?と後ろめたさを感じたり。
そんなやこんなで日毎どころか、朝と晩とで見解も気分も変わっていくこの落ち着きなさ。おかしいな、自粛期間は読書と家事で静かに過ごすはずだったのに、と苦笑するも止む無し。
これが100年ぶりのパンデミックと言うものなんでしょう。
誰かが確たる答えを知っているわけはなく、経験豊富なはずの大人が大騒ぎ。決定し、間違え、方向性を改めて次の一歩を探る毎日です。
そんな中でも心が騒めくのは
コロナウイルスの病気の怖さもさることながら、
ソーシャル・ディスタンスが破壊するかもしれない人と人の繋がりのこと。
私の愛してきたもの。。。
立ち呑み屋さんで始まる隣客との語らい
馴染みのお店での店主とのやりとり
巡る美術館の静けさ
開演前の劇場のピンと張り詰めた緊張感
声と声を重ねた時に生まれる調和
四手連弾でぶつかる手と手
アンサンブルの合間に交わされる視線
舞台で両手を高く掲げる演劇人
終演後の余韻を楽しむ一杯の酒、、、、
オンラインへの移行が急ピッチで進む社会。
でも、私が一番大事にしてきたことは、オンラインでは振替不可能な部分でした。視覚と聴覚だけでは伝えきれない、気配、息遣い、肌触り、温度や香り、、、
いつか自粛期間は終わるでしょう。
その時には、オンラインでは補えなかった五感を刺激する芸術が、人の営みが
また柔らかく芽吹き始めるのでしょうか。