2017.08.08
7月後半はクリストフ・ルセ氏のマスタークラスに参加、フランス・クラヴサン音楽の真髄に触れてまいりました。
クラヴサン(Clavecin)と言うのはチェンバロのフランス名です。
17世紀から18世紀後半にかけて、つまり太陽王ルイ14世から革命までヴェルサイユ宮殿で日常的に鳴り響いていた音楽といえばイメージが湧くでしょうか。
今回はその中でもクラヴサン学派の始祖と言われるシャンボニエール、そ
の弟子のダングルベール、この時代の金字塔的作曲家F.クープラン、そして革命前の最後を飾るデュフリの作品を持って行きました。
うむ、我ながら素晴らしい選曲。
さて、数々のアドバイスと実践と試行錯誤の中でもっとも重要だと感じたことに、言葉とのつながりがあります。
まず最初のレッスンで言われたのがこの一言
「フランス人はそんな風には喋らないんだよ」
ルセ氏の説明によれば、
私は拍を均等に刻み過ぎる。もっと自由(libre)に、フレーズの身体(Corps)を形作るんだよ、と。
身体(Corps)を形作るとは、さすが立体裁断の国です。
和裁のように反物を直線立ちして、縫い合わせるという発想では無いんだな~。
と感心している場合ではなく、「自由」というのが結局は一番難しいのですね。
とにかく見よう見真似、聞き真似で音楽に緩急をつけてみます。
それは、空気を動かすような、重力から解放されるような喜びでした。
次に、最初から最後までずっと言われ続けたのがイネガル(inégale)奏法。
イネガル(inégale)とは不均衡、不平等なという意味。
はい、フランスの三大標語のひとつ、Égalite(平等)の反対語ですね。
これは八分音符等で連なった音の運びを不均等に(三連符でもなく付点でもなく)微妙に長短をつける奏法なのですが、この微妙さが大変難しい。
普通に弾くと「イネガルにしてね」と言われる(本人はイネガルにしているつもり)。
イネガルにしてみると「それはちょっと機械的だね〜」と言われる。
実は、このイネガルのニュアンスが一番良く分かったのは、ルセ氏にフランス語の発音を直された時でした。
それは F.クープランの曲のタイトル "Les Ombres Errantes" と言うごくごく短いフレーズだったのですが、
「いやそこはリエゾンで」
「いや、もっと流れるように」と何回か言い直していくうちに
このワンフレーズが見事に自然なイネガルになっていたのですね。
うーむ。フランス音楽を極めるなら、フランス詩の朗読の勉強から?
他にも、少し専門的な話になりますがティエルス・クレと言われる奏法や終止、フレーズのもっていきかたなど、多くの事が歌や詩、呼吸と関連付けて説明されたことが非常に印象的で、改めて言葉と音楽との繋がりを確認することになりました。
とはいえ、こう言った微妙なニュアンスは直に体験してみなければ分からないことも多く、あらためて、日本で西洋文化を学ぶ難しさを感じたことも事実です。
本物ってなんだろう?
人の心を動かす力ってなんだろう?
日本に帰ってそんなことを考えていたら、桂歌丸さんの言葉がガツンと響きました。
「本当に喋るなら肚からしゃべれ!」
「肚から奏でる音楽」
これだけは東洋も西洋もないんじゃないかなと思っています。