2017.06.15
「ついに自由は彼らのものだ」
ここから始まる木下牧子の合唱曲「鴎」。
この曲をうたう時、私の魂は空に羽ばたきます。
朝やけの海、夕やけの空、
その中を私は鴎となって自由に生き、歌い、世界は一つの言葉で満たされる。
「自由 LIBERTÉ」の尊さを、私はこの歌によって身体に刻みつけてきました。
「自由」とは何でしょうか?
なぜ、かくも「自由」は譲れない価値なのでしょうか?
それは自由が制約された社会を思い起こせば見えてくるかもしれません。
自分が美しいと思うものを、美しいと言えない。
自分が愛するものを、愛していると言えない。
目を伏せ、人の心を探り
自分の言葉を押し込め、作り物の笑いを顔に浮かべ、目の前の不正義に沈黙する。
思考を停め、感受性を閉ざし、、、まるで影法師のように生きる。
「自由」は 「私」が、私であるためのとても大事な要因ではないかと思います。
もちろん、一人一人の価値観が違えば、衝突もおこるでしょう。
へとへとになるほどの話し合い、疲れて、呆れて、諦めて、、、
妥協と譲歩、になればまだラッキー。
それでも、心も思考も朽ちた幽霊のように生きるよりは
これが「私」です、と胸をはって言える方がずっと豊かな人生を生きられるような気がします。
「私が、私であると言えること」 それが「自由 LIBERTÉ」
昨夜、その「自由 LIBERTÉ」を制約する法案が成立しました。
前代未聞の非民主主義的な手続きによって。
一表現者として、私はここに 憤りを表明します。