2016.07.15
モーツァルトがウィーンで最も活躍していた1786年(30歳)に作曲された。同じ年にオペラ「フィガロの結婚」翌年には「ドン・ジョバンニ」を上演。
この曲は期待の音楽である。何度も繰り返される主題とその間に挿入される部分とで構成され、減和音を巧みに使い主題は次々と調を変えて現れる。それはアポもなしに飛び込んでくる珍客のようだ。迷惑なようで今度はどんな客が来るか期待に胸がふくらむ。見かけない美しいご婦人が来られてソファーに腰掛けていたりもする。いやに神妙な面持ちの老紳士の相手をしていると急に客は衣装をはぎ取って陽気な若者に変身したりする。しかし不思議と誰が訪ねてきてもこの曲の中では友達になれる。
モーツァルトというと、もう頭の中で曲のすべてが出来上がっていて書くだけだったとか、神がモーツァルトの身体を借りてペンを動かした、彼は神の声をただその身体を通して楽譜にしただけだとかいろいろなことが言われているが、作品に対して彼が全くなんにも介入していないかというと、はてと思う。
彼の生活のいかに生き生きとしていたかは手紙を見ればわかる。小さい頃から彼は常に人と音楽と共にあった。大食漢の僧侶の食べっぷりを事細かく描写して批判している手紙からは小さいモーツァルトの大きく見開かれたつぶらな瞳が見えてくるし、小学生の冗談みたいな言葉ばかりを使ったベーズレ書簡ではモーツァルトがいとこと過ごした日々がいかに楽しかったかがよく伝わってくる。
一方、彼の手紙はふざけてばかりいるわけではない。母の死を知らせる手紙では父親がショックを受けないような繊細な気遣いが見られるし、結婚してからは妻や子供に心を砕き愛情たっぷりの手紙を頻繁に出している。相手に対して最大の気遣いと最大の愛情を惜しまず降り注ぐ彼は、うれしいときもそしてなんと悲しみの中でさえ生き生きと生きている。
まさに彼の音楽の素晴らしさは彼そのものではないか。
この人はおっちょこちょいだったかもしれないし、普通の人に比べればいいかげんで経済観念のない変わり者だったかもしれない。でも人生で一番大事なものは愛であり、誰よりも生きている素晴らしさを知っていた。モーツァルトの音楽が人の心をとらえるのはそういうところだ。
映画「アマデウス」でサリエリが「神よ。なぜあの男なのですか!」と涙ながらに怒りを爆発する。神が音楽の才能を与えたのがなぜ自分ではなくモーツァルトなのかと。サリエリのセリフはもちろんフィクションだが、誰の目にも神が筆を操らせたかったのはモーツァルトでなければならなかったというのは明らかだ。
不幸に見舞われ生きる力を失いかけている人間にはすべては絶望でしかなくなるけれど、彼を通して聴き手が自分の周りを見ることができた時、それは悲しみも喜びも光に満ちて命の尊さに繋がっていく。それは死に目をそむけず、来たる時に対し覚悟を決め愛に満ちて生き抜くという彼のその姿勢そのものだ。モーツァルトは晩年経済的危機に追い込まれながらも人と関わり合い、人を愛し、作品は更に透き通り深まっていった。
ロンドニ長調はホロヴィッツからピアノ愛好家まで演奏する。モーツァルトはおおらかな生を120%肯定した。そのみずみずしさが息づく作品は人々の心に生き続ける。