2015.10.22
秋。心地よい涼しさにどうしても我慢できなくなってすきま時間にバタバタとパウンドケーキを焼きました。プレーン、クルミやドライフルーツ入り、かんきつとバナナ入り、抹茶味・・・
甘いものと言えば映画「アマデウス」には甘いものがけっこう登場します。その中でも印象深いのは、サリエリの部屋でモーツァルトの妻のコンスタンツェが食べている“ビーナスの乳首”という名前のお菓子です。
この映画はあくまでもフィクション。本当のサリエリは宮廷楽長の地位もあり作曲家としても売れっ子。シューベルトの面倒なんかも見た穏やかでいい人だったということはもうたくさんの人が知っていることです。しかしあまりにもよくできたフィクションというのはたとえそれが史実とは違っても人を納得させてしまいます。
サリエリはこの映画の中でモーツァルトにいやがうえにも天才と凡人の差を見せつけられます。品行方正な生活を送り、神に祈りを捧げながら一音一音身を絞るようにして作曲していくサリエリ。それに対し、モーツァルトは一晩中居酒屋で馬鹿騒ぎをして好き勝手の振る舞いのあと、家に帰ってきて苦もなく自然にわき出てくる音楽を五線譜にさらさらと曲を書き付けていく・・・。絶妙のコントラストをつけながら物語は進行します。
実際世の中のほとんどの人間は凡人なのです。サリエリの「神よ、どうして自分に才能を与えてくれなかったのか。」 という怒りのセリフには多くの人がまったくもって共感するところです。
そこにちょこちょこ出てくるのがお菓子。映画の中のサリエリは甘いもの好きに描かれています。当時としては甘いお菓子を食べられるということはそれ相当の身分ということ。 サリエリが涼しい顔をして(自分の権威の象徴として)コンスタンツェに勧めたのも甘いお菓子でした。彼には今宮廷楽長としての地位がある、しかしないものは神がモーツァルトにだけ与えた音楽の天才的な才能、そして女性。神と音楽に忠実であろうとするために禁欲的な生活を送っている彼を、この“ビーナスの乳首”が浮き彫りにします。
どきっとするような愛らしい形。そして見ればコンスタンツェ役の女優は限りなく童顔なのに胸の谷間がぐっと見えるドレスに身を包んでいるではありませんか。 お菓子はサリエリを描く上で一種の地位の象徴としてのアイテムであると同時に彼の屈折した欲望をも想像させます。
さて、モーツァルトの音楽はといえば時代を経てもなお愛され、フレンドリーで変幻自在。ジェットコースターのようにスリルやおもしろさやちょっぴりあぶない思いを乗せて走り抜けます。立ち止まったりきれいな風景が見えたりするところではひたすら美しく、そしてその極みに達すると美しさはあまりにの純粋さに、たちどころに哀しみに姿を変えてしまうのです。 それは「愛」に溢れているからです。
人間をこよなく愛したモーツァルト、反対にに音楽のために「愛」を自らに禁じたサリエリの音楽。彼の曲が年月とともに忘れられていったということを助演女優“ビーナスの乳首”が見事に演じているようです。
http://pnet.kawai.jp/602574/topics/67547/ (それが“年”というものですよ?! 演奏の説得力とは?)もご覧ください。
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