2015.06.29
~楽曲の終わり近くに挿入される技巧的、装飾的、即興風な演奏部分。協奏曲のソリストが受け持つカデンツァはその典型的な例。ヴァイオリン奏者は背後にコンサートマスター他の百戦錬磨のオケのプロ達の視線を感じながらたった独りその静寂の中で演奏しなければならない。~
カデンツァは楽曲の終わりの和音の前に入ります。さあいよいよとオーケストラが属7の和音を鳴らしたところで、演奏者が自分の演奏技術を披露するために即興性を取り混ぜながらきらびやかな楽句を演奏します。
ある意味好き勝手な演奏の場合もあるからか、自分の楽想を隅々まで忠実に演奏して欲しいと強く願ったと思われるベートーヴェンは、ピアノ協奏曲第5番で自身のカデンツァをかいています。(多分自分の意に沿わないカデンツァはけしからんと考えた?)
しかし基本的に治外法権、自由な部分なので現代でも自ら作曲したカデンツァを演奏するソリストもいます。 ヴァイオリン協奏曲ではヴァイオリニストがカデンツァを作曲する傾向が強く、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調では、ヨアヒム版、クライスラー版、ハイフェッツ版など往年のヴァイオリニストのカデンツァが残されています。
現役での自作ではクレーメル版。(ベートーヴェンがこの曲のピアノ版を作曲した際につけたカデンツァをクレーメル自身がヴァイオリン独奏に書き換えたもの)そしてヴェンゲーロフも自作を使用しているとのことです。
また、作曲家(協奏曲を書いた人とは別の)がカデンツァを書く場合もあり、シュニトケ(1934-1998ロシア)が書いたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のカデンツァは、クレーメルの演奏で有名です。ベートーヴェンの音楽とのバランスは聴く人によって賛否両論ですが、さすがにひと味違うものに仕上がっています。
お気付きのように「カデンツァ=即興演奏」とは言っても、現代では「・即興風に作曲された・自由な雰囲気を持つ・技巧的箇所が多い演奏部分」であり、バッハやベートーヴェンの時代の即興や現代でもジャズの即興演奏とは違います。
クラッシク音楽は作曲者に忠実、いかに作曲家の意図を汲みとって演奏するかが現代のやり方です。 もちろん即興演奏もできるクラッシックの演奏家はたくさんいますが、有名なあのアルゲリッチはいわゆる即興演奏はできないらしく「私にも即興演奏ができたらいいのに!」と言ったとか。しかし彼女の弾くバッハは即興演奏以上に即興的で自由自在。みずみずしく、その瞬間にしか発せられないまるで生まれたてのような感情を即興のごとく表現しています。カデンツァを弾く時もしかり。本番でしか感じないような霊感のようなものはある種の即興と呼んでいいのかもしれません。
しかししかし私に一番分からないのは、あのプロのオーケストラの連中が後方からしーんとして凝視する中どうしてソリストはあんなに集中してカデンツァを弾ききれるのかが不思議です。音楽にすべてを集中していればこそなせる技なのでしょうか。
一人でも聴衆がいるとびびってしまう私はまだまだ修行が足りないと思う今日この頃です。
いえいえ!聴衆がいる意味は・・・!
演奏会で緊張したら… http://pnet.kawai.jp/602574/topics/22025/
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