2024.03.30
歩いていると、花の香りが漂ってくる。見ると白っぽい黄色いミツマタの花が、その名の通りきれいに三つに分かれた枝の先に咲いている。こんなに交通量の多い道路沿いで香ってくるということは、相当強い香りを放っているに違いない。
ミツマタは和紙の原料となる。お習字で使う上質紙が“ミツマタ”と呼ばれるこの和紙だ。名前は子供のころから知っていたが、その植物の姿かたちを見たのは大人になってから。そしてその花がこんなにも香るというのは最近まで知らなかった。思わず顔を近づけて目を閉じる。
反対に桜の花は香りがない。しかし咲いている間はもちろん、散ってからのピンクのじゅうたんも美しい。庭のもみじの花も香りはほとんどない。新緑に隠れてひっそりと小さい赤い花をたくさん咲かせていているが、散る時は桜のように地面に降り注ぎ、あたり一面が赤いフワフワで覆われる。彼らは花の美しさで虫を誘うのだろう。もみじの花の周りにはたくさんの小さな虫が舞っている。満開の桜並木も新緑の葉に隠れて咲くもみじも香りがないからか“姿全体の美しさ”という視覚が刺激される。
さてドビュッシーの《音とかおりは夕暮れの大気に漂う》はまさに“香り立つ”音楽。ボードレールの詩にある“花は身をふるわせて香りを放ち夕空に立ち上る”という言葉が音になっている。
冒頭は5拍子。割り切れない浮遊感。曖昧な和音の響き。半音で撫でるように降りてくる音型。意味ありげなユニゾン。“ヴァイオリンの震える音”“物憂いめまい”と言った詩のイメージが見事に音となって香り立つ。
ドビュッシーにかかるとピアノの鍵盤は柔らかいものでできているように感じられる。花の香りをかぐように目を閉じて音の香りを感じながら弾く。和音はにじんで溶け合い、五感すべてを香り立つ音が刺激しながら弾き手を無限の空間へいざなう。音も香りも目を閉じて感じるのだな、と思う。
花の香りは様々。スイセンやクチナシは強いけれど、パンジーは近くに行って嗅いでちょうどいい。オシロイバナは暗くなると花を広げて「私はここよ。」と言っているようにあやしく香る。ジャスミンの香りは、小さな無数の白い天使のダンス。その香りと音楽に誘われて、私は夜空を仰いで目を閉じる。
熊本市
東区健軍ハートピアノ教室