2023.10.31
里芋の茎。皮をむいて一口大に切ると、芸術的な断面があらわれる。しばしそれに見とれた後あく抜きのために水に浸けると、今度はしゅーっと音がする。のどがかわいていたのかしら。
台所の音は様々だが、調理はまず材料を切る地味な音から始まる。それが終わると鍋を取り出す音、火をつける音。更に料理工程の後半に煮炊きの音が良い香りとアンサンブルを奏で始めると、鍋から立ち上る湯気の音、お皿を戸棚から出す音などがどんどん重なっていき、空気が華やいでいく。そのクレッシェンドな音は、食事の時が近いことを家族に知らせる。お料理ってラヴェルの《ボレロ》のよう。
さて、作家の幸田露伴(1867-1947)は娘の文に対して、「鍋釜や瀬戸ものへの当りのおだやかさ、動きまわる気配のおとなしさ、こういうところに厚みのある優しさがしみだしているものだ。」と、女性の優しさはその仕草のような表面的なものだけでなく、台所でたてる音にあらわれるとさとす。
露伴の妹には幸田延(ピアニスト・ヴァイオリニスト)と安藤幸(ヴァイオリニスト)と音にうるさい人種もそろっている。音に、それも声ではなく台所仕事の音で優しさを測るとは。ふむ…。
それから数十年が経ち京都に旅した文さんは、ふと聞こえてきたまな板を使う音に「決して疳高く(かんだかく)なかった。それなのに自分は老いてまだなんと疳高くうちつけることか。」と、亡き父の言葉を思い出す。(幸田文著:台所のおと)
台所の音といえばやはりまな板の音だ。きゅうりを切る音はトントントントントントン、こんにゃくを切る音はこっとんこっ…とん…。特に木製のまな板の音には、料理に付きものの鮮やかな感覚、例えばみずみずしい食材が慣れた手付きであっという間に菜焼きやお味噌汁に姿を変える、といった空気感がある。
材質もヒノキだけでなくアカシア・オリーブ・カエデ・サクラなど色々ある。そして音で選ぶ人のために『竹は柔らかくやさしい音を好む人には不向き』などの説明書きがあるのは素晴らしい。
現代では女性の地位や権利も当時とはずいぶん変わり、男性も台所に立つ時代になった。電化製品も普及して台所の音もずいぶん変わっただろう。
電子音や、ラップをぴっと切る音のない昔の台所…。土間の台所で下駄を履き、かまどで煮炊きしていた昔の女性…。露伴の言う“やさしい女性”がたてる台所の音はどんな風だっただろうか。
熊本市東区健軍
HEART PIANO ハートピアノ教室熊本