2023.02.15
シュニトケ作曲(Alfred Schnittke)『古い様式による組曲』(Suite in the Old Style)の5曲目《パントマイム》(Pantomime)という曲は面白い曲です。
本当にパントマイムを見ているような曲なのですが、そもそもパントマイム自体がそこに存在しないものをボディーランゲージでもって人に想像させるものなのに、その様子を更に音楽で想像させるのが二重の想像になっていて、不思議な感覚になります。
さて、クラシック音楽には、題名や絵画など他の芸術と直接結びつかず、音楽だけで作曲者の世界観を表そうとする“絶対音楽”と、題名や説明文を付けることで内容をあらかじめ暗示している“表題音楽”という概念があります。
絶対音楽支持者は、その楽曲の持つ自由なイマジネーションを題名など他の介入によって狭められると考えます。ショパンは絶対音楽派で、出版社が勝手に自分の作品に題名を付けようとするのを嫌いました。有名な『別れの曲』は『練習曲作品10-3ホ長調』という題名のついていない練習曲。しかし、彼の死後映画に使われてから勝手に『別れの曲』という題名をつけられ、それが定番となってしまいました。この作品に“別れ”という言葉がくっついてしまったせいで、想像力が限定されてしまったかもしれません。
《パントマイム》は題名が付いているので“表題音楽”です。聴き手が“パントマイムをしている人の体の動き”や“パントマイムの劇場の雰囲気”などの“パントマイム劇場に行けば誰でも見えているもの”を想像しながら聴けばもちろん“表題音楽”になります。
しかし、この曲の見せ場で♯ファあたりの高さで発せられるよく分からない不思議な音をどうとるか??この音はパントマイムの役者がこれこれをしているところです…などの注釈はもちろんありません。ここをどんな音で弾くかはいろいろですが、ヴァイオリニストのギドンクレーメルはギーーーーーッッと、とても汚い音で上手に?弾いています。
“硬くなったねじを巻いているところの演技”と、とれば“表題音楽”。
演技とは関係ない“役者の心の叫び”と、とれば“絶対音楽”。
と、受け取るのはわたくしの考えすぎでしょうか(笑)。
理屈っぽく語ってまいりました《パントマイム》ですが、“表題音楽”と“絶対音楽”の境界は流動的であり、お互いに影響しあっているもの。自由な発想で自由な音で演奏される音楽を、自由なイマジネーションで自由に聴くのが本当は一番楽しい…私の好きな曲でした。
熊本市東区健軍
HEART PIANO ハートピアノ教室熊本