2021.03.15
また桜の季節がやってきました。
桜の魅力の一つは何といってもはかなさ…花びらの一つ一つは色も薄く小さい控えめな美しさです。それなのに群生して一気に咲くときのあの迫力。はかなさと豪快さ、相反する美しさが限られた短い開花の期間に劇的に繰り広げられ潔く終わっていくところが、人間の一生を無意識の領域でそれとなく連想させます。
毎年その時々の気持ちで見上げる桜。耳に聴こえてくるのは加藤周一作詞の《さくら横ちょう》です。中田喜直、別宮貞雄など複数の作曲家がメロディーを付けた人気曲で演奏会でもたびたび取り上げられます。日本歌曲は歌うのは難しいですが、母国語なので歌詞の隠れたニュアンスまでも感じ取れるような気がします。《さくら横ちょう》は春の物悲しさ、少しの緊張感、過去への思慕と追憶、肌寒い日の心細さなど、春独特のあの心のざわつきを連れてきます。どちらの作曲家のものもそれぞれに魅力的です。
そしてこの《さくら横ちょう》は私にとって特別な曲です。
今まで、苦しい場面に遭遇し「もう弾くことはできないかもしれない。」と思うことが何度もありました。しかしそんな時に私には不思議なことに必ず助けて下さる方が現れて、またピアノの世界へ連れ戻してくださるのです。その一つをご紹介しましょう。
私は10年間ピアノに触れなかった期間がありました。そんな時、声楽家の友人が《さくら横ちょう: 中田喜直》の演奏会での伴奏を依頼してくださいました。指は全然動かなくなっていたし、ましてやステージで弾くなんてうまくいくはずがない、としり込みする私を、友人は励ましステージに引っ張り出しました。清水の舞台から飛び降りる気持ちで弾いたピアノ…。音楽に再会した喜びは言葉にできないものでした。聴く楽しさとは全く別次元の自ら演奏する喜び。長く身体の中に眠っていた“音楽を表現する”という領域が再び目覚め、魂まで震えて音楽と交信する感動は懐かしくもあり過去の自分の感じ方の能力を上回るようでもありました。
そのことがきっかけで少しずつ弾けるようになり、ついにはソロを弾くまでに復帰したのでした。あの時温かい励ましと共にピアノを弾くことを思い出させてくれて“弾く人生”の方向へかじを切ってくれた友人にはどんなに感謝してもしきれません。
ここから一番近いさくら横ちょうは健軍神社参道と健軍自衛隊通りですが、道幅も広く車の往来も頻繁で、加藤周一氏の描いた世界とはちょっと違う感じかもしれませんが、木洩れ日のさす桜の木の下に立つと、命の持つはかなさとそれゆえの強さを感じさせられます。
そして必ず《さくら横ちょう》を口ずさみ、彼女の澄んだソプラノと優しい笑顔を思い浮かべるのです。
熊本市東区健軍
HEART PIANO ハートピアノ教室
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