2021.01.14
鞭のピシッ!という音(ウィップという打楽器)で始まるこの協奏曲は、ジャズ風あり、作曲家の伊福部昭が影響を受けゴジラの音楽の元となったというリズミックなフレーズあり、という独創的な曲です。
私は第二楽章が好きでよく弾きます。特にホ長調で始まる最初のピアノソロの部分は何とも言えないさびしさと幸せが共存した不思議な魅力があります。4分の3拍子なのに時々拍子感が抜け落ちそうな字余りのような、アンバランスだけど魅力的なメロディー…。少したどたどしく聴こえるのは彼の晩年の脳の病気のせいとの説もあります。
その後入ってくるオーケストラはあくまでも背景としての役目。そしてピアノと絡み合うのは木管楽器です。この曲は木管楽器の美しさも堪能できる曲。ピアノの方は何やら混乱したようにしばらくモヤモヤとしていますが、その霧をくぐりぬけるといつの間にかそこは更に明るいニ長調に転調しています。
中間部は激しく動き回るピアノと大きなフレーズでメロディーラインを奏でるオーケストラの燃えるような放出。冒頭の不安が情熱的に燃え上がって吐露され、漠然としていた不安が目の前にはっきりと形を現し、どんどん巨大化していきます。
でもそれも長くは続きません。急に生気を失って何かを悟ったように炎は小さくなり、再現部ではイングリッシュホルンとキラキラとひたすら美しく淋しいピアノが静かにかけあいます。木管楽器との再会、そしてピアノが最後に長いトリルを奏で、さよならを言います。
彼の命を奪った脳の病気は アルツハイマー病とも自動車事故の後遺症とも言われており、わずかの望みをかけて行われた脳の手術も、ついに彼を助けることはできませんでした。1931年《左手のためのピアノ協奏曲》作曲、そして1932年にこのト長調の協奏曲をほぼ同時進行で書き、自動車事故が1932年、脳の手術が1937年(同年死去)…。ピアノ協奏曲ト長調は症状的にぎりぎりの時期に書かれたものです。
闘病中に自ら作曲した《亡き王女のためのパヴァーヌ》(1899年作曲)を聴いて、「素敵な曲だね。誰が作曲したのかい?」と無邪気に言ったそうです。
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熊本市東区健軍
HEART PIANO ハートピアノ教室