2017.06.24
~ドビュッシー作曲前奏曲集第1巻10曲目。民の不信仰の罰のため長い間海の底に沈んだ寺院。ある日霧が晴れると、その寺院は徐々に海上に姿をあらわす。鐘が鳴り、大伽藍からは僧侶達のグレゴリオ聖歌が響き渡るが、再びゆっくりと海に沈んで消えていく、というブルターニュに伝わる伝説を元に作曲された。~
子供の頃ピアノを習ってこられた大人の方は、バイエル→ブルグミュラー全曲→ソナチネ→ソナタ→ロマン派の小品、という流れで弾かれてきたケースが多く、ショパンさえも苦難の末にやっとたどり着いてしかも自分で楽譜を買ったから弾いたけれども、レッスンではなかなか取り上げてもらえなかったとおっしゃいます。かなり弾ける方でも、ドビュッシーは未知の世界。モーツァルトやベートーヴェンの音楽にはなかった和音の響きや、ペダルでわざと音を混ぜ合わせる技術などに驚かれます。
“沈める寺”はドビュッシーの曲の中では“アラベスク”や“月の光”といった超有名曲ではありませんが、曲にまつわる物語を知ればもしかしたら耳なじみのない響きにもすっと入っていけるかもしれません。
楽譜の最初に“もっとも静かに”“やわらかく響く霧の中のように”という指示があり、シフトペダルも動員して幕が開きます。6小節目から現れるミの音は鐘を表現しており、その響きに包まれながら和音の他の音を混ぜ合わせていきます。16小節には“だんだんと霧の中からうきでてくるかのように”とあり、ff(フォルテッシモ:とても大きく)に向かいます。
音は古典派では考えられないペダルの使い方で混ぜられ、ほぐされ、更にドビュッシーならではの色彩を与えられながらただのピアノの音であることを超えて、ただただ情景を描写する魔法の渦と化していきます。
クライマックスでは寺院が姿を現し、僧侶達のグレゴリオ聖歌が大音響で響き渡ります。
和音とペダルで大きなドームのように音が響いている時に、気が付くと自分が弾いているのにもかかわらず弾き手はピアノの響きの中に巻き込まれ、物語の世界の中に立ち尽くしているのを発見します。
「やっぱり生演奏の方がCDより断然感動が大きいです。」とはよく聞きますが、楽器を実際自分が弾いてみて体感するものはそれ以上に感動的です。100年以上昔に書かれた曲の世界が現実に目の前に広がる喜び、その『音楽』を自らの指で作り出しここに実在させているという確かな手応え、そこに楽器を演奏する醍醐味があります。たとえどんな練習の苦しみがあろうとも、聴いている人よりも弾いている人の方が幸せなのかもしれません。
☆気ままに、音楽あいうえお☆ 「う」 ウナ・コルダ una cordaもご覧下さい。
熊本市東区健軍 HEART PIANO ハートピアノ教室