私の好きな曲⑫ 春の祭典「Stravinsky: The Rite of Spring 」
2017.04.09
4月のある寝不足の朝“春の祭典”の断片が耳について離れない。鼻歌で口ずさむような曲ではない。きっかけは何だろう。
ファゴットのこの世のものでないような響きで曲は始まる。この曲は難曲中の難曲。フルートの友人も怖い曲、と言っていた。長い休符やタイミングがずれることへの恐怖が奏者を悩ませる。高度の演奏能力を問われる変拍子がのたうちまわる。しかし曲の魅力の中に吸い込まれていくと、楽譜の難しさとは裏腹に音楽とは本来は変拍子でなければならないのではないかという気がしてくる。そしてそのリズムで痛めつけられた身体に不協和音が自然と入ってきて、普段の平衡感覚をかき乱す。
そうやって聴き手がよろよろしながら険しい道を進むと、目の前に壮大なものが繰り広げられる。人間があらがえない巨大な邪悪な力が確かに存在することが音で浮かび上がる。いや、重力が反転して自分がその邪悪になってしまったかのような錯覚にさえ陥る。魂の奥底まで揺さぶられて空間がねじ曲げられるめまいのような感動。聴くことによって無限のイマジネーションを膨らませるという、音楽の醍醐味を存分に味わえる傑作中の傑作だ。
初演は罵倒の嵐で、サン=サーンスは冒頭のファゴットのフレーズを聴いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって立ち去った。しかし現代での“春の祭典”の人気は揺るぎない。私が何か他の楽器ができたらぜひオーケストラに入って異様なまでのエネルギーの渦の中に飲み込まれてみたい。(2台ピアノ版もある)
外はむっと寄せる春の暖かい空気、桜の花びらを散らす強風、どしゃ降りの雨、虫が蠢く気配、樹の芽吹き、そしてハルサイ…。
私の心の下地にある何かがこの曲を惹きつける。4月になるとよみがえる恐怖がそこにあることに気付く。そしてこの曲が奇妙に響き渡る。