2021.06.24
今日は
母の94回目の誕生日🎂です。
昭和3年生まれの母は
若い頃
北海道の従姉妹がピアノを弾き、
東京の音楽学校に行っていた事がずっと心にあったらしく、
私が3才になると、
ピアノを習わせてくれた。
その頃
家には足踏みオルガンがあった。
母は
家業があったので
朝から晩まで、
夕食の時以外は
座った姿を見た事がないほど
忙しかったし、
毎日の生活も、大変そうだった。
しかし
小学校の時に
アップライトのピアノが家にやってきた。
あまり練習をしない私だったが
これまで母から
「ちょっと練習したら?」
と言われた事は、記憶にない。
非常に恐かったピアノの先生から怒られても
「きっと上手になれるよ」
と言っていた。
〝音楽は東京で〟が口癖だった母は
ピアノの先生を探して、
毎月1回
夜明けごろの夜行列車で
東京までレッスンに通わせてくれた。
音大を卒業して
かつてのアップライトピアノがグランドピアノになり、
いつしか
母の居る実家には
かつてのアップライトピアノだけが残った。
ある日
母が、
一本指で、
大好きな唱歌を弾いている姿を見た。
とても幸せそうな姿だった。
そうか、母は
ずっと
弾きたかったのだなあ と、
その時気がついた。
オルガンも
アップライトピアノも
これまで
母が触っていた記憶がない。
〝おかあさんもピアノ弾いたら?〟と
言えばよかったなあ。
今
沢山のレッスン生と共に
毎日ピアノ・ピアノで時間を過ごしている。
幸せ過ぎる毎日だ。
母の誕生日の今日、
いつもより沢山ピアノを弾いてみた。
師のもとへレッスンにも行ってきた。
近くに住む姉と、沢山、母を語った。
天国で
あの柔かな笑顔で
〝弾けるようになったね。〟
〝元気で居なさいよ〟と母が言っていそうだな。
母とは
ありがたくも
実に哀しい存在であるかもしれない。
天国で
誕生日のお祝いはできただろうか。
〝お母さん
ピアノは、実にすてきな楽器でした。〟
最後までお読みいただき、ありがとうございました。