2023.04.25
最近『マルモイ』という韓国映画を観終わって、とても暖かな気持ちになりました。
マルモイは「言葉集め」の意。
帝国日本統治下のソウル(京城)で、自国語(朝鮮語)の辞書編纂に生命を費やした同志たちの物語です。この時代の物語と聞くと、歴史を知る方々はある種の胸の痛みを、あるいは、未だ戦前の亡霊に取り憑かれている方々は反感を覚えるかもしれません。
が、あにはからんや。物語の幕は笑いとドタバタのエッセンスを帯びて始まりました。う〜む、こんな敏感な主題を楽しく観ちゃって良いのかしら(汗)と、たじろいだのも束の間、一気に物語にひきこまれていきました。
皇民化政策により、真綿で首を締めるように言葉を奪われていく半島の中で、「我々の言葉」を残さなければ、と「言葉あつめ」をする文人たち。なんの因果かそこで働くようになった「非識字者」で前科持ちのキム・パンス。(彼のキャラが最高に愉快)。彼らのやり取りの中で、さりげなく交わされる言葉が、玉のように光っていました。
「言葉というのは民族の精神を盛った器なのよ。」
「一人の10歩より、10人の一歩の方が大切なんだ」
『舟を編む』(三浦しおん)という小説がありましたが、
何処の国であれ、言葉を扱う人々には似通ったものがあるのかもしれませんね。辞書を編纂する現場には、何かその小説に通じる雰囲気がありました。
そして、日帝の過酷な弾圧のもと辞書編纂に奔走する彼らが拘ったものに方言があります。いつも穏やかで笑みを含んでいるチョ先生のこんな言葉にも痺れました。
「多くの人に承認されてこと、標準語と言える」
彼は最後「自分たちの言葉の辞書を作って何が悪い」と叫んで、警察に連行、拷問死を遂げるのですが。
ひと場面、どうしても泣いちゃうシーンがあります。
それは「非識字者」の主人公キム・パンスが、字を勉強して、生まれて初めて本を読みながら、そのお話の哀れさにオンオン泣いちゃうシーン。辛い場面や、悲しい場面もいっぱいあるのに、なぜか此処で私までもらい泣きしちゃう。
それは文字に出会って、世界が深まったキムさんの喜びが、理屈を超えて伝わってきたからなのでしょうか。
全編に、人の暖かさ、優しさ、そして強さに溢れた映画でした。
「言葉は精神」
そしてそれは、音楽も含めた「文化・芸術」のベースなのです。