2020.08.02
日々、上がり下がりする数字や、次々と発表される新情報、時には真偽の不確かな情報に触れているせいでしょうか。この頃は、変わらぬもの、地に足のついたもの、繰り返されるものに心が惹かれます。
七月はJ.S.バッハの平均律第二巻から数曲をさらっていました。
24全てのキーの調で作られたプレリュードとフーガ。
当時にあってはほとんど作曲されない調(音律の関係で演奏には不向きだった)も含んだ、チャレンジャーな曲集。
しかも一曲一曲が色とりどりな曲調で書かれていて、まさに汲めども尽きぬ音楽の泉。もし、棺桶に一冊楽譜を?と言われたら絶対平均律だと思っているくらいです。
例えばニ長調プレリュード。
パ・パパパ・パパパ・パ〜パパ〜♪
ラッパの高らかなファンファーレが鳴り響き、続くは弦楽アンサンブル、そこにオーボエのドゥエットが加わって、、と
引籠りの日々にリモート合奏ならぬ一人合奏が楽しめてしまう。
もう一人でも、全然飽きないんですけど、、、(苦笑)
それにしてもバッハは地味に楽しいこの曲集を
なんのため、誰のために書いたのかしら、それも二巻にわたって。
ふと、その答えが頭の中に浮かびました。
バッハは、自分の持っている技の全てを後世に伝えたかったんじゃなかろうか、と。バッハの時代、音楽史でいうバロック時代はバッハの死をもって終わりとされています。ポリフォニー様式を伝える最後の大家、と同時にすでに時代遅れであったとも。
時代は移り変わっていく。
それでも、過去から受け継いだこの技術は残しておかねばならない、とバッハは思ったのじゃないかしら。いえ、あくま想像ですけど。
きっと新しい生活のスタイルが広がる日常にあって、途絶えさせたくないもの、今は無理でも時期が来れば必ず取り戻したいものについて思い巡らす心が、そんな想像を引き起こしたんじゃないかしら、ね。