2019.10.10
展示の再開されたあいちトリエンナーレへ行って参りました。
「表現の不自由展・その後」を巡る一連の騒動については皆さんも聞き及んでいると思います。政治家の発言を耳にし、現代美術に対して不快感、不審感を抱いた方もおられるかも知れませんね。が、今ひととき、実際にこの目と耳と肌でもって会場を経巡ってきたものの言葉に耳を傾けていただければと思います。
スタートは市美術館からでした。
会場入ってすぐ、私は碓井ゆい氏の作品に迎えられました。
柔らかな朝の光、天井から吊り下げられたオブジェは透き通る白生地に刺繍で家族の情景が描かれ、優しい感情を呼び覚まします。壁には碓井氏の声明が貼られていました。
『(「慰安婦」制度の問題の)本質は女性の権利の問題であり、同様に『平和の少女像(慰安婦像の正式名)』も戦時性暴力の否定をテーマにしていると私は認
識しています。』そして、『作品を鑑賞するという機会を、来ていただいた方に十二分に活かしていただくことで、その機会を奪った力に対する抵抗とする方法
を選びました。』
その後に続いた藤井光の作品(展示再開)は、植民地台湾における皇民化のプロパガンダ映像と、それを再現・演技する外国人労働者の映像を組み合わせたものでした。戦前の過ちと現代進行形の人権抑圧とがシンクロし、胸が苦しくなります。
さらに進むとモニカ・メイヤー氏の作品が。
部屋の彼方此方に貼られたピンクや赤、紫のカード、カードを書くためのテーブルと椅子。そのカラフルなカードに書き込まれているのは、性暴力、性差別を告白するメッセージ。私もテーブルに腰をかけ、カードとペンを手に取ってみまたが、、、、書けない。
書きかけたカードを破り捨て、告白の重さを知りました。
この作品は『不自由展』の連帯を示し、同展の閉鎖期間中、メッセージカードを地に落として展示されていました。
午後、移動した愛知県立美術センター。
アンナ・ヴィットの映像作品では上品なスーツに身を包み、和かに微笑む数人の男女の映像が流されていました。彼らはカメラの前で60分間のビジネススマイルをし続けたのです。側面のカメラが捉える、頰の恐ばみ、苦痛に満ちた眼差し、ある一瞬顔をよぎって行く怒りと疲れ、、、
そういえば「スマイル0円」なんて、張り出していたファーストフード店がありました。
これらは出品作品の一部ですが。ここトリエンナーレには、私たちが直面している現実世界が、芸術家による深化と再構成を経て、直に鑑賞者の心と身体に迫ってきました。
さらにこのトリエンナーレが一連の公権力からの干渉を受け、芸術祭全体が大きな『芸術における表現の自由』展の様相を呈していたことも記しておきましょう。
会場の彼方此方で目にしたアーティストの声明文と「展示再開」の文字は、訪れる鑑賞者に嫌が応なく「表現の自由」について「芸術」について思考するチャンスを与えました。つまり、『表現の不自由展・その後』に投じられた一つの波紋が芸術祭全体に広がり、トリエンナーレ自体が『表現の自由』を問いかける一つの巨大な作品になった
と。
この大きな作品の中では河村市長の座り込み抗議さえも芸術祭の一パフォーマンスと感じられました。
(2019/10/11 一部加筆修正)