2017.12.19
スウェーデン・ストックホルムで話された
日本をルーツに持つお二方のスピーチに強い印象を受けました。
Hibakusyaとして反核運動に尽力されてきたサーロ節子氏と
今回、ノーベル文学賞を授与されたKazuo Ishiguro氏です。
改めて、ノーベル賞とは「平和の賞」であることを確認するとともに
そこに「日本の記憶」が刻まれたことに背筋の伸びる思いがします。
多くの方もまた、テレビ新聞等で彼らのスピーチを耳にしたことと思いますが
改めてわたしなりの言葉で振り返っておきたいと思います。
イシグロ氏は述べました
「自分の部族がほかの部族より優れていることを示したからといって、誇りをもったりはしません。(自国の人がノーベル賞を受賞したことで感じる誇りは)む
しろ、自分たちのうちの一人が人類共通の努力に著しい貢献をしたことを知って得られる誇りです。わき上がる感情はずっと大きく、人々を融合させてくれるも
のです。」
もちろん彼はイギリス人ですが
私たち日本人も彼を誇りに思ってもよいのでしょうか。
いえ、誇りに思えるような「日本」でありたい思います。
つまり、「人類共通の努力に著しい貢献をする」人を生み出す社会でありたいと思います。
というのも、一方ではサーロ節子氏が述べたように
日本政府は核兵器禁止条約に二の足を踏んでいる、という現実があるわけですから。私には日本政府の姿勢は、唯一の被爆国としての責任から目をそらしているように感じます。
もう少し長い、イシグロ氏の文学賞受賞記念スピーチにも目を通してみました。
そこでは、彼の創作活動の軌跡が綴られていました。
彼の記憶の中にあった「日本」
彼の文学にインスピレーションを与えた音楽
アウシュビッツ訪問で感じた「記憶」とその「喪失」の問題
そして
ベルリンの壁崩壊以降、とくにここ数年拡大を続けてる不平等と分断について
イシグロ氏は述べます
文学とノーベル賞、そのどちらもが
「私たちが自分たちを分断している壁を越えるのを考えられるよう助けてくれ、人間として共に戦わねばならないことは何かを思い出させてくれる」と。
この数年の困難な出来事に言及しつつも、私は彼の言葉からどこか楽観的なものを感じ取りました。それは彼の文学への、そして人への信頼なのではないかと思います。
音楽もまた、
人々の分断を乗り越えるためのものでありたいと思います。