2016.12.11
ただいま数回にわたりセイモア・バーンスタイン著『心で弾くピアノ』を読んで
心に留まったことを書いております。
さて、この書の第Ⅱ部ではリズムや身体の使い方、そして「聴くこと」についての具体的なトレーニング方法が記されています。どれもとても示唆に富む有意義なアドバイスなのですが、中でも第8章の♬結論で書かれていたこんな言葉に目が留まりました。
「テクニックの面でうまく弾くことができないのは、単に音楽を感じていないためであることが多い。」
「練習は、音楽的感情と技術上達のバランスを生み出すようになものでなければならない。」
技術と感情、それは車の両輪のように深く結びついていること、
両方が伴って初めて音楽は流れ出すことを彼は示唆されているのでしょう。
うまく弾けないのは、技術の未熟さが自然な感情の発露を抑えているのかもしれない。
あるいは逆に、音楽的感情、つまり「こう弾きたい」と言うイメージがないために技術が空回りしているのかもしれない。
練習とは、技術上の問題を克服するとともに、楽譜から何を読み取り表現するのか自問自答するその繰り返しの作業では無いでしょうか。
実はレッスンの中で、「感情」は全ての技術的問題点がクリアできて初めて付け加えることができると誤解されているのでは、と思うことがあるのですね。
ちょうど完成した仏像の最後に目をいれるような感じでしょうか。
もちろん、とてもとても良くわかっております。
音符を読むだけでいっぱいいっぱい、指がもつれないようにするだけでいっぱいいっぱい、
そんな時にとても感情のことまで考えられません!
そんな悲鳴と嘆き。
でもだからこそ勇気をだして、一息ついて思い巡らせてみませんか。
これってどんな曲だっけ?
楽譜を眺めてみたり、CDを聞いてみたり、作曲家の伝記をよんでみたり、
出身国について調べたり(旅のガイドブックでもOK)
実はそんな作業の中から違ったテンポ感、違った息遣い、違ったニュアンスが見つかり
思いがけず、それが技術上の解決に繋がるかもしれない、いえ、絶対ありますから。
騙されたとおもってお試しあれ!