2016.03.03
ドレミファソラシド、ドシラソファミレド。
音階と言えば何を連想しますか?みんなが眉をひそめるツェルニーでしょうか?それとも動物の謝肉祭の「ピアニスト」?ちっちゃなピアニストがちっちゃなおててで小指と薬指を交差させながら一生懸命音階を弾くのは可愛らしいですね。
モーツァルトのピアノソナタK331にはたくさんの音階が登場します。かなりの技術が必要なのにソナチネアルバムという本には(私が子供の頃からあり、内容もあまり変わってない)クーラウや他の作曲家の簡単なソナチネとなぜかさりげなく隣に置いてあります。クーラウの譜読みのように気軽に弾こうとすると痛い目にあいます。
しかしかなり弾けるようになってからでもいろいろな表情を持ったモーツァルトの音階をそれ相応に弾き分けることは難しいと思います。 モーツァルトの音階の魅力、それは私の好みでいくと下降するとき。音が降りてくるだけでもう胸がいっぱいなってしまいます。早い動きでは風のようで、ゆっくりだと柔らかい優しさに包まれていくよう。しかも彼の偉大なところは音階にほのかな影が差すところです。美しすぎてそれがやさしく、はかなく、悲しい・・・。彩りだけでなく哀しみや幸せも見えかくれする音階なのだから、小林秀雄先生、すみませんが“モーツァルトの哀しみは失踪する。涙だけでなく指も追いつかない。”ということになってしまいそうです。
チャイコフスキーの音階は「くるみ割り人形」のグランパドゥドゥ。下降するド~シラソファミレド~(※移動ド読み)の繰り返し。おまけに盛り上がりまでもがド~シラソファミレド~になっていて全体を通してほぼ音階。それなのに大きな感動をおぼえる大好きな作品です。ピアノ編曲版もあるので時々思い入れたっぷりに下降する音階を弾いて楽しんでいます。
音階は気が付いたらもう知っていて何気なく歌えるもので簡単なもの。ところが不思議なことにこの一見単純な音階の中には奥深さ、音の真実とでもいうべき美しさが存在するようです。 優しい音でピアノの鍵盤の重みを感じながらゆっくり押さえて音階を弾くと、音が持つ普遍的な有りようというか、深いものにつながっている大事な道筋のようなものを感じます。指の動きの充実と共に音階の動きの持つ神秘性、そして人の耳に与える空気感やにおいのようなものまでも表現できるようになりたいです。
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