2024.02.28
最近見た婚活のテレビドラマは最高でした。お見合い相手に第一印象であだ名を付けるのがお約束。そして本人の心の中ではずっとあだ名で物語が進行します。そのあだ名がピッタリお相手の特徴をつかんでいるのです。
私の中高生時代にも、整髪剤でいつもキチンと髪を撫でつけている先生は“パオン先生”、怒るといつも顔が真っ赤になって口をとんがらせる先生は”タコ先生”!夏目漱石の『坊ちゃん』の面白いあだ名も有名です。そしてクラシックの作曲家たちにも別名(あだ名)があります。
まずJ.S.バッハは《音楽の父》。尊敬の念溢れるネーミングですが、お父さんになってらっしゃる方は他にもおられましてハイドン《交響曲の父》、ヨハン・シュトラウスⅠ世《ワルツの父》です。
一方《音楽の母》はヘンデルとなっておりますが、念のためヘンデルは女性ではなく太った男性です(笑)。
ベートーヴェンは《楽聖》音楽の聖人、彼の偉業を感じさせます。
王様もおられましてシューベルト《歌曲王》、ヨハン・シュトラウスⅡ世《ワルツ王》、ワーグナー《楽劇王》、スーザ《マーチ王》…。威厳に満ちています。
ちょっと怪しい魅力の方、例えば女性にモテモテだったリストは《ピアノの魔術師》、すべてに繊細で同じお洋服をたくさんお持ちだったラヴェルには《管弦楽の魔術師》というのもございます。なぜ“父”や“王”ではないのか?作品の傾向や作曲家のキャラクターで決まるのでしょうか?
ヴィヴァルディは《赤毛の司祭》パガニーニには《悪魔の申し子》…とくると作曲家の偉業よりも、付けた側の思い込みがずいぶん大きい気がします。
イタリア人はあだ名が得意で、我が子のことを“宝物ちゃん”や“おチビちゃん”などと名前以外で呼ぶことが多いそうですが、フランス人作曲家ドビュッシーも可愛い娘のことを“シュシュ”(キャベツちゃん)と呼んでいて彼女のために『子どもの領分』という可愛い曲集を書きました。私も我が子のことをよく“大豆ちゃん”や“ムチムチちゃん”と呼んでいました。
たかがあだ名ですが、そこには相手に対するスタンスや好意の度合い、様々なベクトルが凝縮されていて、もしかしたら専門性の高いひとつの芸術分野かもしれません。
熊本市
東区健軍ハートピアノ教室