2013.03.04
「Beethoven: Bagatelle for Piano in A minor "Für Elise," WoO No. 59 」
長い間「エリーゼ」イコール「テレーゼ・マルファッティ」という説が有力でした。あまりの自筆譜の汚さから、「テレーゼ」を「エリーゼ」と読み間違えたというものです。しかし近年「エリーザベト・レッケル」という女性が「エリーゼ」ではないかという説が発表されました。
「エリザベート」は当時19歳で、美しい歌声と美貌を持つ歌手でした。1807年、兄を追ってウィーンに移り住み、ベートーヴェンと知り合いました。そしてその後ベートーヴェンの友人でライバルでもある作曲家のフンメルと結婚しています。
当時のベートーヴェンといえば1802年にハイリゲンシュタットの遺書を書いたあとの頃。死ぬことを思いとどまり、作曲家としての人生を自らの使命と受け止め交響曲第5番,第6番、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」などの傑作を生み出していた時です。当時の人気と知名度はフンメルの方が上だったといいますが、現在彼のピアノ曲といえば、ソナチネアルバムに「ロンド」という小さなピアノ曲が載っていらくらいで他は知る人ぞ知る、という感じです。ベートーヴェンの才能は歴史が証明していますが、気が合ったのはフンメルの方だったのでしょうか。エリザベートの目に彼らがどう映ったかは分かりません。ベートーヴェンの臨終の際には夫婦で駆けつけたという記述もあります。
ところで ベートーヴェンというと身分違いの恋にいつも破れていたイメージです。しかし才能に溢れていましたのでたくさんの人が彼を援助していましたし、尊敬できる友人としてつきあった女性や不滅の恋人といわれる女性の存在もありますから、怒りっぽい性格ながらも筋の通った魅力的な人だったのではないでしょうか。葬儀にはウィーン中の音楽家たちや著名人たち、そして驚くべき数のウィーン市民が参列したといいます。
そしてなによりベートーヴェンの残した作品の不変なるおおらかさが今も私たちを包み込んでくれます。 私たちの心のしあわせのために…
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