2021.05.31
AIとは人工知能artificial intelligenceを指す。今や世の中は様々な分野でAIが使われている。
踏切内の異常の迅速な検知、救急車の最適な配置と搬送までの時間短縮、膨大な画像から学習し患者のデータの癌を判定、といった任務から、写真から手書き風の似顔絵を生成したり、婚活アプリではAIがデータを分析して最適のお相手をマッチングしたり、お掃除ロボットや車の自動運転まで、その守備範囲は多岐にわたっている。なんとAIピアノコーチというものも存在していて、演奏を採点して弱点を教えてくれたり、上達のカリキュラムを組み立ててくれたりする。
将棋の世界もAIによって変わった。次に打つべき最善の一手を、AIが瞬時に判断し提示する。また、棋士の勝率もオンタイムで計測、表示されるので、中継を見ている人の興味は棋士がAIの推奨する最善の一手を思いつけるか、というところになる。棋士たちも普段からAIに戦法を学ぶのだ。勝つためにはAIレベルの実力と思考のあり方も吸収しておくことが必要不可欠ということになってきている。
手塚治虫の新作をAIが作る。ストーリーと主役の顔を何億というデータからAIが学習し、選ぶ。美空ひばりのAIが、データに基づいて作られた新曲を歌う。ベートーヴェンの交響曲第10番やマーラーの10番なんかもAIによって作曲されるかもしれない。シューベルトの未完の作品も全部完成して、ツェルニーのような練習曲もどんどん増産。10,000曲くらいは軽く出来るだろう。いや、もうとっくに出来上がっていて、私が知らないだけかもしれないけれど。
しかしAIに対しては、是非とも活躍してほしいと思う一方で、いやこれ以上人間を超えてほしくない、とモヤモヤした二つの気持ちが存在する。特に芸術面では最終的に人間にしかできない事があると信じたい。
現代の技術で機械に心をプログラミングすることがどこまで可能なのかは知らないけれど、AIの歌手が人間のピアノ演奏と即興演奏でコラボしているのを聴くと、AI歌手に何だか独特の切なさを感じる。AIの歌手は純粋だ。純粋なものは哀しい。子供型ロボットのAIに“母親への愛”をプログラミングするSF映画《AI》(スピルバーグ監督2001年)はフィクションだが、エンディングは主人公が純粋なゆえに本当に切ない。
ピアニストのホロヴィッツは「ピアノの演奏に必要なのは“一滴の毒”だ。」と、純粋とは生反対の事を言ったけれど、“毒”も詳細に分析されAIにプログラミングできるようになるのだろうか。
熊本市東区健軍 HEART PIANO ハートピアノ教室