2019.07.13
無伴奏とうたわない限り、声楽やピアノ以外の楽器には伴奏がつく。
ピアノは独奏することが多い。ピアノがひとりで演奏したからといって、無伴奏ピアノ曲とは言わない。「自給自足」ならぬ「自ソロ自伴奏」という観点だろうか。全演奏時間を一人きりで演奏する。
他の楽器や声楽の伴奏を仰せつかる場合、1番と2番の間奏部分を孤独にこなしながら「ん、ん、、」と咳払いをする声楽家をチラ見して、ソリストの今日の調子はどうかななどと思ったりする。他の楽器にはまとまった小節数の休符があっても、だいたいピアノだけは弾き続ける。無音があってはならないラジオのパーソナリティーのようだ。また、ひとつのコンサートで全員の伴奏をしてソロも弾いて、じゃあ最後にみんなで歌いましょう!のところにも合唱の伴奏で登場!!というオール出ずっぱり大活躍だってある。何小節間ずっと休み、ということがまれだからか私は自分が休符に慣れていないとよく感じる。
だからオーケストラを聴いていて(見ていて)彼らの休符の扱いに感心する。ずいぶん昔、ブラスバンドでトランペットをやっていた時、休符の恐ろしさは身にしみた。タイミングを逃し、ついに一回も音を出さなかったなどということは日常茶飯事…。今はピアノしか弾かないので、結局休符の待ち方は相変わらず下手だ。
オケのメンバーは様々なパターンの休符に熟練している。特に自分がやらなきゃ、的な微妙に少ない人数の管楽器やパーカッションのセクションだ。長い交響曲の構成に精通して、出番が少なくても見事に反応。流れてくる音楽に的確に反応して身体が動く。出番が、長い長い交響曲の中のたった1回ということだってあるのに、いつも冷静にその時を迎える団員には敬服する。かなりの緊張感、重圧があるに違いない。(もちろん彼らはそんな低次元なところでびびることなく、もっと音楽的に行き届いたところで考え、高次元なことを表現しているのは言うまでもないです(笑))
休符の恐怖はピアノ連弾でプリモ(第1ピアノ)を弾くときにもおとずれる。セコンドを待つ長い休符が登場するからだ。曲全体をしっかりと把握していないとだめだ。単純に1とっとっとー2とっとっとー3とっとっとーと数えていては、数え間違えたが最後である。掛け合いの曲で、交代でメロディーが出てくるのに合ってしまったり、逆にぴったり合わないといけない曲で終わりまでズレに気が付かないで行ってしまい『かえるのうた』状態で終わったりすることになる。(一人だけ先に終わってしまうという冷や汗ものです)