2019.03.07
1881年 3月28日 死去 享年43歳
ロシア五人組とは
① バラキレフ(作曲家。ピアニスト。代表作『イスラメイ』)
② キュイ(軍人でピアノ曲も多く残す。)
③ ボロディン(歌劇『イーゴリ公』の“だったん人の踊り”が有名。化学者であり作曲家。)
④ リムスキー=コルサコフ(軍人。後にペテルブルク音楽院の作曲と管弦楽法の教授。代表作、交響組曲『シェヘラザード』)
⑤ ムソルグスキー(代表作、『禿山の一夜』、ピアノ組曲『展覧会の絵』。)の5人です。
ムソルグスキーといえば異様な雰囲気で有名なこの肖像画。これはレーピンという画家が描いたものです。 レーピンは他にも『イワン雷帝と皇子イワン』という壮絶な作品があります。激しい怒りの感情を抑えきれずに爆発させ、大事な世継ぎの息子を自らの手で殴り殺してしまったイワン雷帝。はっと我に返るとそこには血だらけの息子が息を引き取ろうとしている…。そんな恐ろしい光景と表情を圧巻の表現力で描き切っています。
さて、そんな天才的な画家が描いたこの絵。あまりいい印象ではない絵ですが、実はムソルグスキーがアルコール依存症で入院していたときに描かれたものです。髪はぼさぼさ、目つきが異様で赤ら鼻、無精ひげは伸ばし放題でだらしなく寝巻のようなものを着ています。肖像画の依頼主は欠点を隠し自分をよく見せようと画家に注文をつける、というのがお決まりなのですが(ベートーヴェンやマリーアントワネットは有名)ここでは一切がありのままで描かれています。
ひたむきな性格のムソルグスキーは、作曲に専念するために役人としての仕事を捨ててしまい、芸術の希求と貧困の中でアルコール依存症になり精神を病んでいきます。病状が小康状態だったというこの日、彼は画家と何か話をしたのでしょうか。彼はもう人の目に自分がどう映るかなんて考えることもなかったのでしょうか。芸術と向き合って生きることの過酷さに押しつぶされそうになりながら、けれどその中に何とか希望を見出そうとするぎりぎりの生活の中で、画家の前ではありのままを見せたかもしれません。レーピンは鋭い洞察力で作曲家の内面まで表現しています。
この絵が描かれて11日後の、それも彼の誕生日翌日、この悲しき作曲家は息を引き取ります。なんと飲み干した空のブランデーの大瓶の横で死亡しているのが発見された、と言われています。(アルコール依存症治療中の彼に誰がそんなもの差し入れたのでしょうか!?)
この絵を売ったお金をレーピンがムソルグスキーの葬儀費用に充てたこと、リムスキー=コルサコフが1889年のパリ万国博覧会でムソルグスキーの曲をフランスに紹介、更に未完の作品を仕上げたこと、そしてピアノ曲『展覧会の絵』を後年ラヴェルが絢爛豪華な管弦楽曲に編曲して、それが珍しい景色(珍百景)を紹介する日本のテレビで盛んに流れたことを彼は知りません。
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