「僕は悲しい音楽しか知らない。」と言った彼がウィーンの寒い部屋で誰から注文されたわけでもない曲を無心に書いているところを想像します。シューベルトは生涯よりどころのない孤独を抱えたさすらい人でした。おとなしい人だったと言われていて、美しい歌曲もたくさん書きましたが、“死”に囚われた激しい心の叫びが、痛みさえ伴うような悲しみの名作も生みだしました。
死期を悟っていた最晩年の『ピアノ・ソナタ変ロ長調』では、リズム感というものをほとんど感じさせないように水平にさすらっていくメロディー、和音は綿毛に包まれたように柔らかく暗闇にともる薄明かりのようにぼんやりとしていて、最初は主体性がないように見えます。でも、それが少しずつ記憶をたぐりよせるように意識を持ちはじめ急に存在感を巨大化させたかと思うと聴く人を突然悲しみの奈落へ突き落とします。『死と乙女』特に第二楽章では身を切るような悲しみ。死に神がいくら「死は安息なのだ。」と言ってもこの世を去る辛さを消し去ることはできない命の重み。『冬の旅』の見捨てられた者の辛さ、”死”と隣り合いながら生きている絶望感…。ここにも孤独と死に囚われた彼の内面が強く映し出されています。孤独と悲しみがシューベルト自身と重ね合い、強いメッセージとなって聴く人に迫ってきます。
また、シューベルトの音楽は眠っている時に見る夢のように、無重力的なつじつまの合わない不思議な魅力もあります。地獄の坂を突き落とされて、もうおしまい…と顔を上げるとそこには天国の扉があってそっと開けてみると最初にいた場所にもどっている…。そして彼の言う悲しみは激しく心に突き刺さるかと思えば、次の瞬間には優しさや微笑みを湛えていて、夢の中をさすらっているように感情もゆらゆらと漂っています。『君はわが憩い』を聴いていると現実を忘れそうです。
私のピアノ仲間にシューベルトを弾かせると本当に心にしみる演奏をされる方がいて、シューベルトといえば彼女の弾くピアノ・ソナタを思い出します。彼女が素晴らしいのは指がたった一音触れただけでこれから始まる世界の音になっていることです。更に弾き終わった後にもシューベルトの空気が残っていて、彼女はもうとっくに帰ったのに部屋にはその“音楽”が溶け込んだまま残っていて一人でその余韻に浸りながら「ああ、シューベルトって、そして音楽ってこういうものなのだな。」とじっと浸っていたことがありました。彼女が日頃からピアノに、生き方に真摯で、魅力的な方である事は言うまでもありません。
『野ばら』『魔王』『糸を紡ぐグレートヒェン』『死と乙女』『冬の旅』室内楽や交響曲、ピアノ・ソナタの数々・・・。溢れても溢れても湧き出る悲しみの泉は生涯1200曲にものぼる作品を生み出しましたが、生前社会的な野心には無頓着だったので作品は死後発見されてから出版されたものが多く、今日こんなに広く愛されていることを彼は知りません。ひたすら創作にかけぬけた31年の短い生涯でした。
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