2016.12.10
シベリウスに「樹の組曲」という曲集があります。中でも「樅の木」は人気で、時々レッスンでも使います。静かに見守ってくれているような樹の大らかさ、優しさ、そして強さを描き込んだこの作品はシベリウスの傑作のひとつです。深くどっしりした音色で、樹がたどってきた長い時間の流れや、それを見上げる人の心の有りようも浮き上がらせるように弾かなくてはなりません。樹には魂が宿っていることを感じされるような組曲です。
熊本はまだ紅葉が見頃です。暖地なのでシベリウスの描いた樹とは種類は違いますが、いちょうもまだまだ、と黄金色の葉を冬の日差しに輝かせています。近くの公園にはたくさんの樹が植えられていますが、その中に「落羽松(らくうしょう)」という樹があります。私の通った小学校の運動場にもあった樹なのでなつかしさでいつも立ち止まります。
当時、運動場のトラックのちょうどコーナーの内側になるあたりに生えていた小学校の落羽松は、きっと樹齢100年は超えていたでしょうか。子供が3、4人くらいで手を伸ばさないと樹を囲むことができないくらい大きな樹でした。結構広い一角を占領していたにもかかわらず、誰もそれに文句を言うでもなく、樹は当たり前のようにそこに堂々と枝を伸ばしていたのでした。
夏、落羽松は木陰になって子供達を強い日差しから守り、写生大会ではすべての子供達の絵の中に登場しました。放課後はランドセルの置き場所になったり、根っこはおもしろい遊び場、幹は「もういいかい」の壁になったりしました。
そしていよいよ季節が秋冬になると、まあその大きな落葉樹からもうこれでもかというくらい後から後から葉っぱが降り注ぎました。毎日、毎日、どれだけほうきで掃き集めたことでしょう。どんなに集めてもすぐに落羽松は繊細な形状の茶色の葉を運動場にふかふかと敷きつめるのでした。暖かい日差しの中で葉は黄金に輝き、寒波の風の日にはストーブの灰と一緒につむじ風に舞いました。
樹の実は銀杏のように丸く、強いにおいがしました。北風と落羽松の葉、そして実のにおいは、小学校時代の記憶と重なります。樹は一度植えると人間よりも生き続けます。大きな樹を見上げるとなにか特別な力が宿っているような気がします。長い時間、いろいろなことをじっと見続けてきた小学校の落羽松もたくさんの子供達を見守ってきたのでしょう。
公園を見渡すと、小学生はシャツ一枚、テニスコートの皆さんは半袖の方も。暖かい日差しに誘われて赤ちゃん連れの若いご夫婦、自転車の練習中の父娘、ころんで泣きながらお母さんに走っていく男の子・・・。
晴れた冬の休日の公園は心が和みます。この公園は熊本地震の後、県外から応援の自衛隊車輌や、車中泊の車で騒然としていました。この公園の樹たちも静かにいろいろなことを見続けていくのでしょう。
私の落羽松の思い出はここでおしまいです。小学校の落羽松は校舎が建て替えの時、根元から伐採されました。大人になった私は、後日切り株を目の前にして立ちつくしました。