2014.11.06
昨日の山本美芽先生のアンサンブルセミナー第4回は、
「耳から音符をとらえる」
が、テーマでした。
楽譜〜読めたら便利です。そこにいろいろな情報が詰まっています。また、記憶しきれない膨大な量が楽譜になっていることで、それらを再現することが可能になります。
しかし、これは西洋音楽に当てはまることらしく、そうでない楽譜に頼らない音楽もある、ということを知っておき上手にレッスンで使って行くと、効果的と思います。
その一つがジャズやポピュラーです。CDを聴いての耳コピが主流のこのジャンル。その道のプロに言わせると
「楽譜を見るのは手抜き」
だそうです。
たくさん聴いて、体に覚えさせ、ニュアンスまでも体得して再現するジャズやポピュラー。勿論、持って生まれた感性の違い、リズム感の違いで到底及ばないこともありますが、それはそれとして、やはり耳コピの世界だそうです。
そう思うと、レッスンの中では楽譜を読む教本と、耳から入るジャンルの音楽とあった時、後者が得意(優位)な、生徒さんにはそちらを伸ばしてあげつつ多少レベルに差があってもゆっくり読めるように持って行ってあげることも大切だな、と感じました。セミナーを受けながら、数名の生徒さんの顔が思い浮かびました。
実は日本の雅楽も、楽譜はこの写真のようなものです。やはり耳コピ。
師匠と相対(あいたい)という形で向かい合い、師匠が唱える歌をひたすら覚える、口唱歌というものです。そこから歌を覚えたら初めて楽器に行くと。それも、吹きものと言われる管楽器から始まり、打楽器や箏はそれらが出来てから、と、聞きました。
昨日はこの越天楽の出だしを、皆で歌いました。🎵トーラーロー🎵というように。
拍子を膝で取り、微妙な音程を先生に合わせて。何だか新鮮な感覚でしたが、楽譜にしたい自分も何処かにいました。
ソルフェージュ力が大事と聞いたことがあります。この口唱歌で覚えて行く時に、拍子感と耳からの音程感が本当に必要な音楽なのだと感じました。楽譜がないからこそ、耳なんです。となると、その方面に行く場合の生徒さんのソルフェージュ力に対して、私は責任があるとも痛感した次第です。
楽譜も読めて耳も使えて、これは理想です。でも、どちらかが長けている場合、それが生きるジャンルを与えて先ずはそこから伸ばす、も大事な楽しみ方、表現の仕方だと思いました。