2020.08.28
作曲・編曲家の原賢一先生が
8月18日、95歳でお亡くなりになりました。
原先生とお会いしたのは2年前の6月。
夫の仕事の関係でその存在を知り、
ぜひお会いしたいと思いお尋ねさせていただきました。
先生も奥様も、おっとりとして朗らかなお人柄で、偉そうなところはかけらもなく、
すっかり私は敬意と親愛の情で満たされました。
昔からの、誰もが知っているそれはそれはたくさんの童謡の編曲を手掛けた先生、
2年前にお会いした時に、
オークションで入手したテイチクレコードのLP版にサインして頂いて
みんなで写真を撮らせていただいたのが思い出の品となってしまいました。
ぜひ今度は私がご夫妻にご馳走をお返ししたいと願っていたのですが、
昨夏も不調で入院なさったと聞き、冬はインフルエンザが心配でお声掛けできず、
とうとうこの訃報がやってきてしまったのです。
お会いしたのは一度きりではありましたが、
夫が郡山に帰省するたびに原先生のご様子を聞き、
その後様子がお変わりないことで安心していたものでした。
お歳がお年だけに、そのお時間がどれほど貴重なものかと案じてはいましたが、
わかっていてもこの知らせは切なくさびしいものでした。
この世界の端くれにいるものとして原先生の偉大さに深い敬意を持っていた私。
お子様がいらっしゃらないため奥様のことが気がかりではありますが、
機会があればぜひまたお伺いしたいと思っています。
心から原先生の冥福をお祈り申し上げます。
会った回数関係なしに、心の深いところに位置する存在になりうるということがままあります。
私にとって原先生ご夫妻はそういうお二人でした。
何かお役に立ちたいと思うのだけれど、微力過ぎて何もできないというもどかしさ。
深い敬意と、心の中にともる希望や温かさを感じた方は以前もいらっしゃいました。
太田西の内病院理事長であった太田緑子先生がその方です。
まだ独身の頃の私のピアノをどこかでお聞きになり、
それ以来、病院のお披露目やパーティーでピアノが必要な時は必ずお声掛け頂いて
演奏させていただいておりました。
娘の薫子という名前は緑子先生からいただいたもので、
初正月、初節句、入園入学など、一度もお忘れになることなくお祝いが届いたものでした。
このような存在の方々に出会えることは、若輩の私にとっては望外の喜びで
また心の中の支えや希望になっていたのでした。
緑子先生もお亡くなりになってこの秋で10年です。
思い出すたびに「お元気でいらっしゃいますか?」と話しかけ、
緑子先生を忘れることはありません。原先生もそのような存在です。
このような敬意を捧げる方々に出会えることは本当に幸せなこと。
恥ずかしくないように生きていかなければと、改めて思います。