2015.04.22
と言っても、水谷豊さんではありません。
私のヴァイオリンのお話。
ヴァイオリンをもっと勉強したいと思った時に出会った今の楽器。
当時はまだ、楽器を選定する、という意識はなく
『これならいいよ』と持って来ていただいた楽器を購入。
幸運なことに、初めて持った時から、スーッと身体に馴染んでくれた。
もう、弾くことが出来ないかも……と言う時も、
部屋の隅で私を見続けてくれていたのかな?
もう一度手にして、弾き始めた時も、寄り添ってくれた。
そして今、ますます良く鳴るようになった私の相棒。
楽器のサインからは1965年『すぎうらたかし』と読み取れる。
50年経って、ますます響きが良くなってきています。
そして思い出すのは、当時聞いた
『2丁を一緒に作って、その片割れは
京都市交響楽団で演奏されている方が購入されました』という話。
その楽器は今どうなっているのかな?
サトウハチローさんの記念館で
2台のピアノが並んでいるのを見た時から気になっている。
同じ時に、同じ型のピアノを二人の女性に贈られたとのこと。
でも、お二人の育て方によって、全く異なるピアノに成長していました。
同じものとはとても思えない音色。
ピアノでも、こんなに育ち方が変わるのに、
ヴァイオリンなら、どんなに変わっているのだろう?
製造から50年経った今、何とか一目(耳かな?)見てみたい思いが膨らみます。
一緒に、ドッペルコンチェルトを弾いたらどうなるのかな?
そして可能なら、制作されたすぎうら氏にもお会いしたいな。
教室を始めて40年の節目を迎えた今、
50歳を迎えたヴァイオリンの相棒さん、製作者に会いたいです。
何と娘の嫁いだ姓もなんと『杉浦』
偶然とはいえ、不思議な縁を感じます。