2024.10.17
1845年、オーストリアのウィーンからチェコを結ぶ鉄道が開通しました。
1851年には、ドヴォルザークの故郷、ネラホゼベスにも線路が通りました。
ドヴォルザークは、大の鉄道ファンで、作曲に行き詰まると散歩に出かけ汽車をながめて帰って来たそうです。🚂
ドヴォルザークは、1841年9月8日にチェコの首都🇨🇿プラハに生まれました。
生家は、精肉店と宿屋を営んでいました。
父は、ツィター(日本の琴に似た弦楽器。長さは琴より短い。)の名手でした。
アントニンは、6歳で学校に通い始めたときに校長先生からヴァイオリンを習い、9歳でアマチュア楽団のヴァイオリン奏者になりました。
父は、家業を継がせるためにアントニンを職業専門学校へ入れましたが、ここでも学校の校長先生からヴァイオリン、ヴィオラ、オルガンの奏法と和声楽を学びました。
1857年16歳でプラハのオルガン学校へ入学、叔父や友人に支えられました。
学校卒業後はヴィオラ奏者としてオーケストラに入団。ここで指揮者だったスメタナの教えを直接受けました。
無名だった彼のみずみずしい才能に注目したブラームスは、出版社に彼を推薦しました。
ブラームスの「ハンガリー舞曲」のような曲集を、という依頼のもとに出版されたピアノ連弾「スラブ舞曲集」は、ドヴォルザークの出世作となり、彼の名は一躍世界的に知られるようになりました。
1891年50歳でアメリカ🇺🇸、ニューヨーク🗽へ渡ります。ここで、交響曲第9番「新世界より」や、「チェロ協奏曲」などを完成させました。
1895年54歳で、望郷の念にかられチェコに帰国。久しぶりの故郷で作曲したのが、「8つのユモレスク」です。第7曲は特に有名です♪
ヴァイオリンとピアノのための編曲が有名ですが、原曲はピアノ独奏用です🎹
多くの栄誉が与えられたドヴォルザークでしたが、1904年、64歳で持病が悪化し、5月1日、昼食の際に気分が悪いとベッドに横になるとすぐに意識を失い、そのまま息を引きとりました。🚂