2025.09.11
昨日、朝つけていたテレビでスポーツにおける体罰のことを、話していました。
様々な競技の、強豪校に行ったなら多少の理不尽も、勝利につながる、という美学がまだある、とのこと。
確かに、ありますね。かくいう,息子もそれで高校を選びました。しかし、そこでAチームにいられたか?と言われるとそうではなく、でも息子にはそれも全て経験で、本人はその高校の選択が、今となっては間違ってはいなかった、と。最中には、辛いこともあったと思います。怪我もありましたしね。
でも、そこにいたことと、そこでのことが、今回就活に役に立ったようです。
理不尽な立ち位置にいた人達の、その後の幸せ度とか研究されたらいいですよね、と話されていたのですが、まぁ、全て人によって考え方や価値観は違うからね、と思った私です。でも、息子がそういう立場の高校に行ったから、私も今こう、落ち着いて話せるのかもしれません。
その中でこんな一言もありました。
「指導者はその成長を見守っているけれど、その親御さんが待てないでいるケースもある」
と。
これ、然り!
そして、これはピアノの指導にも言えます。スポーツの体罰の話とは、別ですけどね。
完璧に弾くのが美学、の弾かされている演奏には感動がなく、そうでない演奏になるには、子供の心の成長が大きくて。それを私は待っています。
でも、親御さんが「何年やっても、この本だから」とか、「後から入った◯ちゃんの方が上手で」みたいな。比較や焦り。以前はありました。
待ちましょう、と言い続けている私。まぁ、最近はそういうお話をされる保護者の方はいらっしゃいませんが。
待ちましょう。調うまで。