2012.05.08
私事ですが、昨日から叔母夫婦が我が家に来ています。
叔母は趣味で20年以上ピアノを習っていて、プロアマ問わずで言えば、私と同等かそれ以上のキャリアがあります。
多趣味な彼女はピアノ以外にもビーズづくり、菜園、ペットの世話、インテリア研究、整理整頓(笑)と、多岐に渡っています。
ただ、英会話はいつの間にかやめてしまい、理由を訊ねたところ
「お金に余裕がなくなったので、形に残らないものはやめた」
と言い、それは音楽も同じなのでは、と思いましたが、ピアノは続けてくれてるので、嬉しい気持ちになりました。
世の中には形に残らない素敵なものがたくさんあります。
私は、音楽活動として演奏や教育に携わってきましたが、どちらも形に残らないものです。
今まで、美術や同じ音楽でも『作曲』と比べると、作品として残らないので何だか損をした気分になることもありました。
でも、返して言えば、形に囚われることがないということです。
作曲は『春』と決めたらそこからずれることはできないですが
演奏は春を温かな春にも、鮮やかな春にも、春の嵐にもできるのです。
それは、演奏というものが、形に残らないものだから、春を毎回違う色に変えられるということ。
形に残らないということは、いつでも自由な形にできるということ。
そんな自由な気持ちで叔母も私も携わっていければいいなと思いました。
大好きな叔母夫婦が明日信州へ帰ってしまうのは残念ですが、また次回会うのが楽しみです。