2025.09.18
8月の発表会を経験し、ひとまわり成長した生徒さんの姿がレッスンで見られ、嬉しいです。スタッフとして参加してくださった生徒さん、ありがとうございました。
また、6年,10年,12年とレッスンを継続している生徒さん、素晴らしいです♪
これからも楽しくピアノとお付き合いください🎹
9月生まれの作曲家
🌰🌰ジョージ・ガーシュイン🌰🌰
ユダヤ人の移民の子として1898年9月26日にニューヨークに生まれました。13歳のときからピアノと和声を学びました。
少年期はいわゆる不良少年で、たくさんの騒動を起こしました。一方で、黒人などの有色人種を差別することはありませんでした。彼は陽気な性格で人気者でした。
20代になると作詞家である兄のアイラと組んで、たくさんのポピュラーソングを発表しました。
1924年には「ラプソディー・イン・ブルー」を発表しました。アメリカの黒人コミュニティーで生まれたジャズとヨーロッパのクラシックを合わせたこの作品は、「シンフォニックジャズ」として、世界的に評価されました。
彼は独学でオーケストレーションを学び、「パリのアメリカ人」「ポーギーとベス」などを発表しました。「サマータイム」は、広く親しまれています。
ガーシュインが、オーケストレーションを学びたいがためにストラビンスキーのもとを訪れたときには逆に「どうしたらそこまで収入を上げられるのか教えてほしい。」と言われるほど、彼は作曲家として異例の高収入を得ていました。
「あなたはすでに一流のガーシュインなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう。」(モーリス・ラヴェル)
「生まれながらの音楽的才能の邪魔はしたくない」(ナディア・ブーランジェ」
ガーシュインは1936年の暮れから気分が落ち込んだり意識を失うことがありました。
1937年7月9日に昏睡状態になり、検査を受けると、脳に腫瘍が見つかり、7月10日に手術。大きな腫瘍は摘出されましたが、その後意識は戻らず、7月11日の朝、亡くなりました。38歳でした。
彼の遺体は、ニューヨークの墓地に埋葬されました。