2025.05.23
セルゲイ・ラフマニノフは、1873年4月1日、ロシア🇷🇺にうまれました。
ノブゴロドという、サンクトペテルブルクとモスクワの間にある自然豊かな街で育ちました。彼の家は貴族でしたが、豊かではありませんでした。祖父と母は、ピアニスト、父もピアノ弾きでした。
12歳でモスクワ音楽院に入学、ピアノ科と作曲科の両方を1番で卒業。特に素晴らしい生徒に与えられる大金メダルを与えられました。
19歳で「前奏曲 嬰ハ短調 鐘」を作曲し大ヒットとなりました。
しかしその後の「交響曲第1番」は大失敗に終わりました。指揮者グラズノフは、勉強不足で、酒にも酔っていたためでした。
この失敗によって自信を失い、精神を病んだラフマニノフは、催眠療法を受けます。
医師は、ラフマニノフに言いました。「あなたは協奏曲を書くでしょう。そして、それは最高のものになるでしょう。」
この翌年の1900年、「ピアノ協奏曲第2番」が生まれたのです。
彼は一流の作曲家として認められました。
彼は、身長が2メートル近くあり、ドから1オクターブ半上のソまで届く大きな手でした。
ロシア革命が始まるとアメリカに渡り、演奏活動をし、1943年、69歳でアメリカで亡くなりました。母国ロシアに埋葬されることを望んでいたラフマニノフでしたが、望みは叶えられませんでした。
彼の演奏会には、毎回熱烈なファンから、あふれるばかりのライラックの花が贈られたそうです♪♪