2025.01.19
1797年1月31日生まれ。
1828年11月19日、31歳の若さで亡くなる。
シューベルトは、リート王と呼ばれています。リートとは、ドイツ語で歌う曲のことで、彼はたくさんの美しい曲を作りました。
「野ばら」「アヴェ・マリア」「ます」など親しみのある曲や、中学校の教科書にのっている「魔王」は、歌が物語になっていて、一度聴いたら忘れられません。
晩年に作られた「菩提樹」も名曲です。
シューベルトの父は小学校の校長先生で、彼は父の学校で教育を受けました。早いときから音楽の才能を発揮し、教師からは、
「こんな生徒は見たことがない。何か教えようとしても、彼はもうそのことを知っている。」
と、驚かれました。
並はずれた歌の才能を発揮し、今の「ウィーン少年合唱団」にあたる聖歌隊に入りました。ここで高い教育を受け、また、シューベルトの才能を理解し、応援してくれるたくさんの友人と出会いました。
シューベルトは、25歳のころから感染症に悩まされました。そのころ作曲したのが、「交響曲第7(8)番 未完成」でした。
シューベルトには、未完で終わっている曲が少なくなく、この曲も2楽章で終わっています。
曲の始まりはとても暗く、病に対する不安を感じます。希望を感じる美しいメロディーにもあふれています。
彼が30歳のとき、敬愛するベートーヴェンが亡くなり、葬儀に立ち会いました。
ベートーヴェンも、才能ある若き作曲家に期待を持っていました
31歳になってから作られた「楽興の時」は、小さい自由な形式の楽曲で、ロマン派への幕あけとなりました。
この曲は日本でも愛され、長年にわたってラジオのテーマ曲になっています。
この曲が作られた数ヶ月後に、彼は31歳という若さで亡くなりました。
彼は、生涯を独身で過ごし、家も財産も持たず、残されたものは数枚の衣服とシーツやマットだけでした。
「交響曲 未完成」が演奏されたのは、彼が亡くなってから37年後でした。
彼を愛し、献身を惜しまない多くの友人に囲まれた人生でした。
彼の墓地は、ウィーンの人々が集まるシューベルト公園にあります。🪦
2025年1月