2024.06.11
ブラームスの生きた19世紀のヨーロッパは、18世紀末から始まったフランス革命によって、これまで王族貴族に押さえつけられていた一般の市民が、「自由、平等、博愛」の社会を手に入れ、自分たちを主張することができるようになりました。
モーツァルトやベートーヴェンが活躍した「古典派」とよばれる時代は、様式や形式が重要でした。
19世紀になると「ロマン派」とよばれる時代に入り、自分たちの内面の感情や個性を大切にし、それを自由に表現しました。リストやワーグナーという作曲家が大きな影響力を持っていました。
これに対して、ブラームスの求めた音楽は、バッハやベートーヴェンの音楽を受け継ぐものでした。彼は、ベートーヴェンを大変尊敬していました。いつかベートーヴェンの交響曲を超えるものを作りたいと考えていました。そして、第一番の交響曲の作曲に、20年もの歳月を費やしました。それほどの時間をかけてやっと生まれた曲でした。
ベートーヴェンの交響曲は本当に素晴らしいので、これを超えるものは現れないであろうと考えられていたのです。
ブラームスの交響曲第1番は、「ベートーヴェンの交響曲第10番」と言われています。そして、ブラームスは、バッハ、ベートーヴェンと並んで、ドイツの偉大な作曲家「3大B」とよばれます。
ブラームスは、北ドイツの港町フランクフルトに生まれました。父はコントラバス奏者、母は父よりかなり年上の由緒ある家柄の出身でしたが、一家の暮らしはとても貧しいものでした。愛情あふれる母は、甘いもの好きなヨハネスのために、卵白を泡だて山のようにこんもりと盛りつけオーブンでカリッと焼いた「ザルツブルガーノッケルン」というお菓子をつくりました。ブラームスは大人になってからも亡き母を思いながらこのお菓子を食べたそうです。
ブラームスは若いころ、ハンガリー🇭🇺出身のバイオリニストとコンビを組み演奏活動をしました。このときバイオリニストから聴いた、ハンガリー民謡やジプシー音楽がもとになり、有名な「ハンガリー舞曲」が生まれました。
気むづかしくて頑固なブラームスでしたが、恩師シューマンが亡あとは、クララ・シューマンや、その子どもたちの助けになったり、母校に多額の寄付をしたりと、とても義理堅く優しい人でした。
ブラームスの音楽には、彼の誠実さや優しさがあふれています。🍀🍀🍀