2016.01.19
今から10年余り前だったと、思います。当時私は日本ピアノコンクールの審査員をさせて頂いておりました。生徒さんは20人ぐらいおられたかな?その中で12人の方がコンクールに出たいとおっしゃって、レッスンの間はお母様がコンクール用のドレスを手縫いされて待っていて下さいました。私は大阪と奈良の地区予選、そしてその中から優秀賞受賞者の東京での全国大会の審査員もさせて頂きました。初級で5人。中級者、上級者も5人位優秀賞受賞をして、5人は東京での全国大会に行きました。課題曲は決まっていて、99人同じ曲を弾いた中で三和中学のM君は1年目は5位、2年目は2位に入賞して大きな盾を頂きました。片塩小学校だったFさんも90人中5位に入賞しました。下市から来てくれていたTさんもハイドンのニ長調ソナタで良い演奏をしてくれました。
初級の人は全国大会は無いのでその代わりヤマハのコンクールにも出場、日本の作曲家の作品から「三つの宝石」とソナチネを1曲弾いて非常に良い評価を頂きました。
この生徒12人が本番を迎えるにあたり、地場産業の舞台を借りたり、カワイの発表会を活用させて頂いたりリハーサル的なものもやりました。地場産業会館でピティナの地区大会があった事もあり色々なコンクールをやって参りました。
時は変わり今は少子化のせいもあり、又学習塾行くのが当然みたいな風潮になって参りまして真面目にピアノを弾きたいと言う気持ちが全般に薄れて参りました。
学習とピアノ、部活は別にしても、ハッキリ言ってある程度までは両立出来ると思います。これが私立の中学受験となってくるとチト話は………浜学園も馬渕も市田も何人合格させるかに必死なのです。全く先生の死活問題になって来るぐらいです。如何してもピアノの練習時間は短くなります。向こうはテスト、テストで、自転車操業なのですから………ついていくには勉強しか無いのです。
そんな時代を経験して、敢えてコンクールとは言わないけれども人前で堂々として自分を信じ、自分をさらけ出せる様なお子様を育てたいと、私の考えもコンクールから変わりました。出来るだけ御両親のお金のご負担を無くし、そういう場を作ることに……それでもカワイのコンクール、ヤマハのコンクールとご興味のある生徒様は私の負担で出場して頂きます。その代わりそれなりの成果を出していただく様に指導致します。
高田中、引越しして今、南今里の父が建てた家に落ち着きました。もう父も母も亡くなり、終の住処になりました。子供も独立してやっともう一度落ち着いてレッスン出来る環境になりました。
もう一度コンクールで頑張っても良し、趣味の生徒様を教えても良し、自分の曲をもっともっと頑張っても良し……
ただ、日本ピアノコンクールの矢島先生がお亡くなりになり、それと共このコンクールが無くなったのは残念の限りです。