2022.10.25
ひたちなか市・那珂市でピアノ教室を
開いております稲野辺純子です。
いつも私のブログをご覧くださり
ありがとうございます。
【ピアソラの曲をピアノレッスン受けてきました。】
今年は、ピアソラの没後30年になります。
ピアソラと聞くとまず
『リベルタンゴ』
が頭の中に思い浮かぶのでは
ないでしょうか。
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ピアソラは、1921年アルゼンチンのマル・デル・プラタ
でイタリア移民3世の子として生を受けます。
4歳でニューヨークに移住し
15歳まで過ごします。
この時ジャズに親しみ
10際の時すでにバンドネオン奏者として
ブロードウェイのラジオ局で録音も行っています。
アルゼンチンに戻り
17際の時にはタンゴに目覚めます。
18歳でタンゴの楽団でバンドネオン奏者として
活躍しながら24歳までの5年間
音楽理論を学びます。
33際の時、パリに渡りクラシックの作曲を学び
タンゴに革命を起こします。
保守的なタンゴからは
厳しい意見を受け、
幾度も命の危険に晒されました。
現代では、その絶大な人気と
その国際的な影響力が大きく
フランスで69歳で脳溢血で倒れた時は
大統領選容器でアルゼンチンに帰国。
1992年7月4日71歳でブエノスアイレスで
亡くなりました。
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先日、ブラジルピアノコンクールで
第1位グランプリを取られた
ラテンアメリカの第1人者で
ロンドンとパリでも学ばれた
宮崎幸雄先生のレッスンを
受ける機会がありました。
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ピアソラの音楽は、彼の生き様が
ストレートに表れていると言えます。
根底には、アルゼンチンのタンゴがあり、
クラシックの構成力を使い、
ジャズ風なアレンジが加わり、
独自の世界観を作り上げています。
ある意味、言語と共通するとも
言えるのではないでしょうか。
言語も時代を経てまた
隣接する違う言語との融合
さらにその土地独特の方言と
なって形作られていきます。
楽譜には、こう書かれているけれど
こういう言い回しが常識。
楽譜には、書ききれないニュアンスがあり
それを読み解くのは、
日本でいう民謡を
伝える難しさに
似ているように感じました。
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ヨーロッパの伝統的なピアノとは
また違った
南米の音楽に触れる機会を得たことで
また私の中の引き出しが
増えたように思います。
生徒の皆さんにも
伝えていきますね!